ぴぃなと二人頑張っている夫だけどこの度仕事復帰するので、保育園の申し込みをすることにした。
過疎を心配するほどの田舎だからとのんきに構えていたけれど、なんとここでも未満児は順番待ちらしい。
「少子化対策と言いつつひどいよね」って論調もあるのかもしれないけど、私はそれはちょっと違うかなって思う。
少子化って騒がれているのも知っているし、その対策として保育園の充実を行政が考えるのも勝手だけど、私がこの子を産んだのは行政に頼まれたからではない。もちろん結果として社会のお役に立てる人間に育ってほしいとは思うけれど、産んだのはまったくもって私の意思だ。
少子化と待機児童の問題を結び付けて当事者が行政を批判するのは、好きで産んでおいて「この少子化時代に産んでやったのだから」と恩に着せているようにも聞こえてしまい、そういう論調には同意しかねる。
また私が今、小さな子供を預けてまで職場復帰したいのも誰に頼まれたわけでもなく、まったくもって私のエゴなのだ。
「女性活用って言いつつ制度が伴っていないじゃないか」と批判するのもやっぱりお門違い。「誰もあんたに活躍してくれなんて頼んじゃいない」と返されておしまいの話だ。
少子化対策も女性活用も、行政が考えるべき社会問題ではあるかもしれないけど、個々人が社会問題を盾に自分の権利を主張するのは間違っていると思う。(話はずれるけどそもそも「活用」って・・・本音出過ぎw。流行のPCに責められて言い換えられないことを祈ります。)
使えるサービスがあれば使わせていただくし、ありがたいことだとおもうけど、そのサービスはあって当たり前のものじゃない。
私はぴぃなのお陰でこんなにこんなに幸せなのに、さらに応援すらしてくれるこの社会に感謝こそすれ、もっと税金を投入して貰って当然とは口が裂けても言えない。
産みたくて産みたくて産みたくて産んだ。そして働きたくて働く。(働かなきゃ食っていけないという現実があるのは確かだけど、それだって私個人の問題だ。)
どちらも私の意思、私の欲望。誰のせいでも誰のためでもない。
世の中がどうであろうと、子供がほしいと思った気持ち、産んでよかったと思う気持ち、にもかかわらず働きたいと思う気持ちの強さは揺らぐことはない。何をどう選ぶかは私個人の問題なのだ。世の中が子育てに優しくなかろうが優しかろうが、私とぴぃなの幸せに一点の影も落とすことはない。
ねえ、そうじゃありませんか?世の中のお母さん方。