なんだか忙しくて かつて無いほど長く ここに投稿できずにいました。
今日は 朝から出張で 東京にいきました。
片道3時間 電車に乗って 30分の用事をたして あとはぽっかり 時間が空きました。
折角だから 東京見物でも とは思うものの
目の前の喧騒の他に どこに東京があろうか と
アスファルトの照りっかえしと ビルの間に淀む排気ガスとの間を あてもなく ひとり歩くこととなりました。
ここでは誰も私を知らず 次に来るべき未来を私は知らず
(少なくとも帰りの電車の時刻まではね)
ただただ この喧騒の中を歩けばいいのだ という無責任な安心感に包まれ
なぜか 私は 久しぶりに 顔を上げて歩いたのでした。
JRの鉄橋の下の どぶの匂いの漂う交差点に 場違いのように赤い看板を掲げる
でもその赤い看板の汚らしさが かえって その存在意義を強調しているような
ファーストフード店に入り
これまた どぶの匂いに 良く似合う たばこの煙に包まれ
昼だというのに 日の届かない 薄暗い鉄橋の下を
ハイヒールを鳴らしてお昼休みを歩く OLみたいなお姉さんを 眺めました。
頼んだポテトは 吐き気がするほどまずく オレンジジュースは 塩素の匂いがして
指を油でべっとりぬらして 無表情に口に運べば
なんだか 駆け足で過ぎ去っていく時の流れの 一瞬の澱みに
通りすがりのエキストラとして 参加できたような 不思議な安堵感も 覚えたのでした。
ああ そうじゃない
時代に参加している
ふりをする安堵感だ。
心が自由でいるためには 存在はできるだけ 不自由であった方がいい。
気高くいるには 身体はできるだけ 汚い場所にあったほうがいい。
肝心なことを考える時には からだはできるだけ どうでもいい場所に おいたほうがいい。
そうすることで 私はこの 重い身体と存在を
それがちょうどお似合いの どぶの中に ひとまず預けて
時を場所を越えて ひとり さ迷い歩くことができる。
都会の灰色の風は 疲れたこころに 少しだけ やさしい。