例えば金曜日が当直で、そのまま土曜日に準緊急手術が予定されているような木曜日の夜、次に共にできる夕食のために、ぶり大根を仕込む。
それが土曜日の夜なのか、日曜日の夜になるのか、一向に見当がつかないのだけど、次の約束をそうやって取り付けるやり方が気に入って、近頃うちではぶり大根がブームである。
下茹でをして湯止めした大根と、霜降ってさっと洗ったぶりとをあわせて、ゆっくりと温度を上げる。ともに芯まで同じ温度になったところから味の移行が始まるのだという。
酒とみりんと醤油と・・・・私の味付けはいつも目分量、でもこの先はきっぱり私の手を離れるから、目をつぶって絵を描くが如き真剣さが必要なのだ。・・・思い描くは、私のいない二日三日を一人過ごす彼の時間である。
あばらは私のいない日々を、ぶり大根と共に過ごす。
私の仕込んだ味のまま、決して何も足さず、味見すらせず、ひたすら忠実に、ぶり大根を煮込む。
「始めは強火、ゆっくりと湯気が立つくらいで弱火に落として、沸騰する前に火を止めるんだ」
彼は言う。
「火が強すぎると味は出て行くばっかりで染み込んでいかない。冷えていく過程が大事なんだよ」
いつから大根の専門家になったのか、言うこともいっぱしながら、やることの美しさは、中までしっかり色づきながら私が切ったそのままにどこも型崩れしていない大根を見ればそれ以上の注文はない。
「たぶん君のお父さんの大根と競争できるようになったと思うよ」
大根の煮込み方は父伝来なのだ。
だが味付けは私である。得意そうな彼をにっこり褒めながら、私はこっそり心の中で真の功労者に拍手を贈った。