近頃 お腹が空くとお腹が痛くなってしまいます。
・・・・・それって、十二指腸潰瘍じゃんっ
こと自分のことに関しては
なんでもすぐに病名を付けたがって (しかもより重症な病名を好んでねっ)
しかも病名を付けたところで満足して
治療もせずに放置してしまうのは
医者の悪い癖。
というわけで、反省してためしに胃薬を飲んでみました。
なんとっ、胃薬って効くんですね~♪ びっくり。 <おい
いえ、あたしだって胃薬を患者さんに処方することはいくらだってあるんですけど。
こんなふうに、医師としてのあたしと、あたしとしてのあたしの間には
ちょっとした解離がある。
医師としてのあたしの行動は、これまでの臨床データの蓄積に裏付けられた西洋医学の知見に縛られている。
そういう意味では医師ロボットでありさえする。
考える、といってもそれは情報の処理と選別化にすぎないし
判断といっても、判断の根拠はあたしの外に存在しているのだから
どのデータを引っ張り出すかに多少の選択の余地があるだけで
ある程度のレベルまでは私情をはさむ余地なんかない。
(私情を持ち出して持論に従って治療したら、それは壊れたロボットだ)
インプットとアウトプット。
問診と検査で情報を集め、処方として吐き出す医師ロボット。
医師ロボットとしてのあたしは、
医学書に書かれた膨大な量のデータやら
毎月毎月報告される新しい知見を
信じていないわけじゃないけど
信じているわけでもないのだ。
信じるとか信じないとかそういうレベルではなくて
情報として使えるのか、使えないのか
恒久性があるのか、ないのか
判断根拠とするならどの程度の重きをおいてよいのか
それが間違っていた場合のデメリットはどのくらいあるのか
それぞれに応じてラベルを貼って
知識の貯蔵庫にしまいこむ。
だから胃薬の効能を嘘だと思っているわけではもちろんないけれど
信じている、というのとはちょっと違う。
医学的知見とあたしの間には、信じている、というような盲目的でない
いつでも覆されうるだけの距離がある。
んでもって、あたしとしてのあたしは
胃薬は胃薬でたまたま効いたみたいだけど
なによりも
とろとろお粥でも食べてさっさと寝よっ
って結論になるのでした。
海草たっぷりのとろとろお粥の効能は
信じる、って感情だと思うんだよね。
【海草とえのきと白菜のお粥】
今はいろいろな種類の乾燥海草が売っているから買い置いておけば
なんにもしたくないとき、買い物だってしたくないくらいのときにも便利ですね~。
海草とえのき。
海の幸と山の幸をあわせる知恵、と書いてあったのは何の本だったかしら・・?
えのきはブラウンえのき。
歯ごたえと香りがしっかりしていておいしいです。
お米が足りなかったので白菜で水増ししました^^
あ、ネギはごま油と塩でさっと炒めて。
甘くて優しい味は、やっぱり、信じる、ってやつだと思うんだな。