B型の私は、A型の私とか、O型の私とか、AB型の私とかがうまく想像できない。
イモリに生まれ変わった私とか、ねじ花に生まれ変わった私とか、あるいはまたヤカンに生まれ変わった私というのは、とてもうまく(?)想像できるのに、B型でない人間に生まれ変わった私というのは全く想像できないのだ。
いや、想像できないわけではない。だが想像の中のB型じゃない私は、平坦でのっぺらぼうで、いささか精彩に欠き、無難に成長して無難に生き無難に死んでいく以外のどんな人生も付与されない。
これは別に、B型ではない人間の人生が平々凡々でつまらないものだと思っているからではもちろん(!)なく、もちろんB型という血液型に付随する性格がどうであるからでも全くなく、むしろ(B型の実際の内容は問わず)「B型であるという出来事」の特殊性に由来するのだと思う。
家族の中で唯一のB型であるということは、たった二人のAB型(母と妹)、たった一人のA型(父)であるということに比べ、明らかに精神的孤独、あるいは特権的地位を意識させるものであった。
血液型と性格との間になんらかの関係があるなどともちろん信じてはいないし、おもしろおかしく誇張して語られる茶飲み話の中でさえも、子供の前ではそういった迷信を語るまいと厳格な内省をもっていたであろう両親の作る家庭に育てられた子供にあってすら、いつの間にか自分の何らかの性格的欠陥の言い訳として血液型を持ち出す癖を覚えるほどに、B型であるということは「お得な」体験であるのかもしれない。
つまらぬ日常の行き違いやちょっとしたしぐさ、やめられない癖の理由付けとして、苦笑ともあきらめともつかぬ吐息とともに語られるそれ。いや実際には語られていなかったかもしれない。にもかかわらず、私はいつも心の中でこう付け加えてぺろりと舌を出すのだ―――「だってB型なんだもん。」
私のこの極端に子供じみた、自己中心的な狭視野的性格が、B型であるということで一向に矯正されずむしろ年を経るごとに増長してきたのは、自分に甘い私のご都合主義故なのかあるいはまた、それそのものもB型特有のものであるのか、考えたところで堂々巡りに陥るにすぎない。
だが、と、父一人になってからめっきり住みやすい部屋に片付いている実家のベッドにひっくり返って天井を見上げる。
もしも私がB型でなかったら、随分自分に厳しい内省的な人間になっていたであろうし、そんな逃げ場のない窮屈なのはごめんだと思うのはこう育ってしまったB型の私が思うことで、実際にはB型以外に生まれておれば、いい加減さもアンバランスも自己中もない、至極まともな人間として人々の模範になっているであろうことは疑うべくもない。
○●○●○●○●○●○●○ 血液型TB第15弾 ○●○●○●○●○●○●
あなたはどう?
第15弾 お題
「もしも生まれ変わったら何型がいいですか?」
お題にそった記事を こちらまでTBして下さい。
締め切りは10月15日(日)とします
テンプレと一緒に 必ずあなたの血液型も 記入してください
追記
血液型公表したくない方、
自分の血液型を知らない方は『自由型』での参加も可です
※誰でも参加出来るように
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企画元 明日 晴れるといいな
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みにうささんの
血液型TB第15弾に参加。
生まれ変わってもやっぱりB型と思ったのですが、よくよく考えてみたら、それはB型になってしまった私が思うことで、公平な視点で考えてみれば、「今の私以外に生まれなおして生き直す」には、B型以外の私になるほかないのではないか、そんなふうに思うのです。
それほどまでにB型であることは、私の存在に深く深くしみこんでいるように思えるのです。
というわけで、生まれ変わるなら「B型以外」が答えです!
でもどうせ生き直すなら、人間以外がいいなあ。