例えば秋の匂いというのは何の匂いであるのか。
秋に限らず、春には春の、夏には夏の、冬には冬の匂いがあり、それは互いに決して混じらず決して迷わず年を経て変わらず、そしておそらく土地を隔てて通ずるものだ。
秋の匂い、と一口に言っても、虫の音鳴り渡る夕べの涼やかな風、夜の忘れ形見の露を落ち葉にしっとりと含んだ濃霧の夜明け、あるいはまた降り積もった銀杏の葉に公園が黄金に染まる日暮れ、どれひとつとっても同じ匂いはなく、だがどの匂いの根底にも惑うことなき明らかな秋の匂いが潜んでいる。
天高く馬肥ゆる突き抜ける青のしたでも、しとしとと一切を湿り気のため息で覆い尽くす秋雨の日も、遠い夕日落ち葉を転がす強い夕風狂ったようにいっせいに首をふるコスモス、黄金の田に波をおこして渡ってくる風、どの瞬間のどの匂いをとっても秋の匂いだと明らかに分かるのはなぜなのか。
秋の匂いとはなにか。いや、春の匂い、夏の匂い、冬の匂い、季節の匂いとはなんなのか。あれは確かに匂いであるのか、匂いであるとしたらなんの匂いであるのか。
匂いという言葉を使うとき、嗅覚で感ずるものだけでなく雰囲気や気配といったものを指すことはある。だが「あれ」は、「秋の気配」や「秋の雰囲気」といった漠然としたものではないし、ましてや気取った詩的表現や暗喩などではない。ある瞬間、確かに存在するものとして鼻先を掠めさっていく「あれ」。例えば一日の仕事が終わり職場を出た瞬間、あるいはまた締め切っていた車の窓を開け放った瞬間、ほとんど色がついているほどに濃密な一群の風がぶわっと私を包み、あぁと私は立ち止まる。あぁ、秋だ、秋の匂いだ。
だがそれは同じ匂いであっても、例えばきんもくせいの匂いとか焼き芋の匂いといった匂いとは違った種類の「匂い」である。きんもくせいの匂いはきんもくせいが咲き続ける限り匂っているのだし焼き芋の匂いはしばしばそれをすっかり腹の中に収めたあとですら匂っているものだが、秋の匂いは秋であるかぎり匂い続けるわけではない。あぁっ、と思って深呼吸をした次の瞬間には湖に落とした一滴のインクのように濃密なそれは風に溶けて薄まり、いくら鼻をうごめかせて嗅いでみてももはや痕跡すら追う事はできない。
実在の匂いは、ある特定の発生源から発せられるものであるかぎり時と場所に縛られるものである。きんもくせいの匂いはきんもくせいの花の場所と咲いている時間を中心として最も強く分布し、中心から離れるにしたがってその存在を薄くする。
だが秋の匂いには中心がない。いかなる場所にもいかなる時にも中心を持たず、神出鬼没、その存在は気まぐれである。秋と言われるあらゆる時間あらゆる場所にふいに出現し、その頻度も強さも、中心や頻度や確率を否定する。そして、ある日突然、冬の匂いにとってかわるのだ。
嗅覚が、鼻粘膜に存在する嗅覚受容器への匂い物質の結合によってもたらされる化学反応であるのなら、この「秋の匂い」の時と場所からの自由度はその「匂い」性に疑いを持たれてしかるべき性質である。とすればあれは嗅覚によって感じられているのではなく、なんらかの精神活動によって産み出されたある種の「感情」に近いものであるのか。
だが、と私の身体性はこの仮説を認めない。確かに私は「あれ」を鼻で感じ取っているのだ。それが証拠に鼻が詰まっていては「あれ」を嗅ぐことはできないし、いくら場所に縛られぬとはいっても職場内では(つまり屋内では)決して出現しないのだから。
匂いが実在であるのか(つまり匂いの元となる匂い物質が実在するのかどうか)あるいはなんらかの精神活動によって産み出された幻影であるのか、そういった議論は、秋の匂いの元となる匂い物質が特定されていない以上無駄である。したがってあれが実在の匂いであると主張したい私は、秋の匂いの元の物質性を特定しなければならぬ。
体験からして匂いの元は屋外に存在するのであろう。そしてその非―中心性から考えるに匂いの元はあらゆる場所に無限に存在するはずである。だがその時間的儚さから考えるに産生はごく微量であるはずであり、そしてその産生は連続的ではなく濃淡の振動をもつはずである。かつその物質は極めて拡散しにくく、空中を濃淡を保ったまま移動していくのだろう。そしてそれはいつからともなく始まりいつからともなく冬にとって変わる秋の、正確に初めから正確に終わりまで生み出され続けるのだ。
* * *
目を閉じて、貴方は思い浮かべることができるだろうか。
秋の匂いが生み出されるその場を。
あらゆる場所に無限に存在し、誰の目にも触れないその場を。
ごくごく微量の何かが、律動的に吐き出されていくその場を。
いつからともなく始まりそしていつのまにか終わる季節の
正確に始まりから終わりまで秋の匂いを生み出し続けるその場を。
* * *
湿り気を含んだ土の上に幾重にも降り積もった落ち葉の
より土に近いそこで
微細な黴たちが蜘蛛の糸のような菌糸を伸ばす。
伸びゆく菌糸が触れ合うたびにため息の様に吐き出されるミクロの粒子。
無数の虫たちが腐り始めた植物の繊維を更に細かく食む音は
規則正しい振動となって空気を震わす。
湿気は豊かさの温床であり降り積もった落ち葉が地熱を逃がさず
樹上で熟れゆく果実があるように、土上で熟れていく熱情よ。
朽ちていくものが発する微熱が、ぴんと張り詰めた澄んだ空気に濃淡を与え振動を与え、
あぁ、貴方には聞こえるか、菌糸のざわめきが。
秋よ。喜びの季節よ。
朽ちていく神秘。
秋の、匂い。
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前回のすごろくの目は2でした。
2進んで→10.2コマ進む→12.気になって気になって仕方のないこと
書いているうちに、気になって気になって仕方のないことという論調ではなくなってしまいましたが、ここ数年、私の頭の中から離れない疑問がこれです。
「季節の匂いの元は何か?」
例えば冬の匂いは雪の匂いのような気もしますが、雪が降る前から冬の匂いはしますし雪が降らない土地でも同じ匂いがするのはなぜなのでしょう。
雨の日と晴れの日では明らかに違った匂いがしているのに、どちらも明らかに秋の匂いだと分かるのはなぜなのでしょう。
あ、この匂いは、と思うことはしょっちゅうあるのに、どの時もその匂いは一瞬で過ぎ去り、すぐに鼻がばかになってしまったようにわからなくなってしまうのはなぜなのでしょう。
季節の境目はいつからいつまでとはっきりしているわけではないのに、季節の匂いはある日突然始まり、決して後戻りすることなくその季節をまっとうするのはなぜなのでしょう。
季節の匂いのもとが知りたくて、私はいつも鼻をうごめかせているのに、それはあまりに儚くて、あっと思った時には過ぎ去ってしまって検討に値するほど十分嗅ぐことができないし、嗅いで見れば明らかにそれと分かるのに、いくら頭で考えてもその匂いを頭の中に再現することはできないし、そうこうしているうちに季節はあっという間に次の季節に移ってしまって前の季節の匂いにこだわり続ける事を許してくれないし、だから研究は何年経ってもすすみません。