あれは 小学校にあがったばかりのことだった。
ひとつ違いの妹といつものように大喧嘩をした。
理屈では勝てない妹がどこで覚えてきたのか
「お姉ちゃんなんか 死んじゃえ」と口走った。
言い終わるか終わらないかのうちだった。
それまで こどもの喧嘩を苦笑いしながら見物していた母の手が
妹の頬にとんだ。
蝉の鳴く夏の居間
扇風機が回っていた。
スローモーションのように振り下ろされる母の手 と
とっさのことで何が起こったかわからず呆然とする妹 と
おろおろするばかりの私 と
今でも昨日のことのように思い出す。
「誰かが死んじゃえばいい とか いなくなれとか
それは 本当に本当に 取り返しのつかない ことなんだ
今後一切 絶対に絶対に 口にしちゃいけない おそろしいことなんだ」
理由も 理屈も なく ただ 「絶対にいけない」 と繰り返しながら
あの時 たぶん 母は泣いていた。
そのとき以来 幼い私の心の中を 「死」が支配した。
口に出すことはもちろん 願うことすら禁じられている 禍禍しい呪文。
身近な者の死を想像するには私はあまりに幼かったし、なによりも恐怖と好奇心が死のイメージを荒唐無稽なものにした。
死は無限大を思わせた。
ずっと数を数えていっても終わらないし、宇宙の果ての向こうはまた宇宙なんだって
そんなことを聞いた後に 怖くて眠れず見上げる天井の模様と 重なった。
「とりかえしがつかない」 ってどういうことだろう
いくら考えても 宇宙の果てに行くよりも もっと 「とりかえしのつかないこと」 は うまく想像できなかった。
そして あれは むせ返るような暑い夏の日だった。
幼い心の浅はかさが それをさせた。
誰よりも誰よりも大好きだった祖父がその犠牲者になった。
「おじいちゃん 死んじゃえ」
学校帰りの一人ぼっちの通学路で 口の中でつぶやいた。
昼間にしたのは 朝や夜だと 呪文が威力を持ちそうで怖かったからかもしれない。
なんでもない独り言のように さっさとすましてしまいたかった。
神様に聞こえないように 小さな声で言ったつもりだった。
なんでもない実験のつもりだった。
ちょっとした言い間違いや小さな嘘のように すぐに日常に紛れ込み 分からなくなってしまうような ささいな言葉 のはずだった。
だが その言霊は 暑い日のねっとりとしたアイスキャンディーのように 口の中にまとわりつく呪文となって 息づき
私は 「とりかえしのつかないこと」 が形を持って到来したのを 知った。
走ってうちに帰り 何度も何度も うがいをしたが 「とりかえしのつかないこと」 には変わりはなかった。
私は 私の中の何かが決定的に損なわれ どうしようもなく汚されたのを知った。
そして 「とりかえしのつかないこと」 は 無限大でも宇宙のなぞでも恐怖でもなく
ただただ 汚らわしいものであった。
祖父が 病に倒れたのは それから しばらくしてのことだった。
幼い日の懺悔は 終わっていない。