(I)
小さい頃から運動は苦手で、特にかけっこは大嫌いだった。
一所懸命走ると足がもつれて必ず転んだから、いつの頃からか全速力で走ることをしなくなった。
運動会は雨降れ雨降れって祈りたいところだったけれど、それ以外のダンスや組体操は好きだったから、照る照る坊主を逆さに吊るすわけにもいかず、どうしたらかけっこだけをエスケープできるか、そればっかり考えていた。
走っている最中はまだよかった。走り終わって順位別の旗の後に並ばされて父兄の前を一周する悲しさといったら泣きたいほどで、幼心にもびりっけつの6位の旗は5位の旗に比べて小さく薄汚れてみえたもの。
なんとかして5位の旗の後に並びたい・・・とはいえもともと足の遅い子が初めっからまじめに走っちゃいないのだから、実力でその位置を勝ち取るなど望むべくもない。
ところがその年に限って、背の順に6人ずつ区切って作られたグループの一番最後のちびっ子グループは6人じゃなくて5人だったから、私は労せずして5位の旗の後ろに並ぶことになった。
6位じゃなかった私は鼻高々でどうしたってそれを褒めてもらいたかったけれど、もちろん誰も褒めてくれるはずもない。
「今年は6位じゃなくて5位だったよ。」
「グループが5人だったからでしょう。」
「うん、そうだけどさ、そうなればいいなあってお祈りしたんだよ。」
母はちょっと笑って「じゃあ、お祈りが通じたのね。」と言った。
もちろんそんなことは嘘だった。5位になりたいとは思っていたけれどどう考えたって無理だったから何か自分にはわからない天変地異か何かが起こって5位になる様を漠然と思い描いていただけで、5人グループになれば6位の旗から逃れられるなど、考えてもみなかったことだ。だけど私はこの5位をどうしたって自分の手柄にしたかったし記念すべき5位を偶然の産物にはしたくなかったのだと思う。(だってこれから先5位の旗の後に並ぶことができる可能性はほとんどなかったから。)
とっさに口をついて出た嘘をそれから私はずっと引きずることになる。
私のお祈りが神様に通じたなんて母がみんなに話したらどうしよう、それでもってみんなが私の事を超能力があるって思ったらどうしよう、それでTV局の人とかが来るかもしれない、そうしたら私には超能力なんてないのだから私が嘘をついたってばれてしまう。それだけじゃない、私がうそつきだって思われてしまう、いや本当に私はうそつきなのだ、これまでだって褒められたくてついつい嘘をついちゃったことはあるし大げさに話しちゃったこともある、たぶん私は生まれついてのうそつきなのだ。そう思ってみれば自分は友達に比べてなんと薄汚く穢れていることだろう。みんなまっとうに無邪気にまっすぐに生きているというのに、どうして私はこんなにもうそつきなのだろう。ピノキオのようにうそつきだと分かる印があればよいのに。そうでなかったら私はどんどんどんどんうそつきになって、うそで作られたうそ人間になってしまう。
私はどうしようもなくうそつきで、話すことすべてが話すそばから嘘に変わっていく、本当のことなんてどこにもないのだ。私にかかわる全てが嘘に変わっていく恐ろしさは、触るもの全てが黄金に変わっていく絵本の主人公とだぶり、身にまとわりつくこの呪いから生きている限り逃れることはできない、と思うようになった。
この記憶には続きがある。悩みぬいた末に私はとうとう母にあれが嘘であったことを告白するのだ。母はまた少し笑って「うん、知っていた。」と答える。
この記憶が現実のものなのか、悩み続けた私の心が作り出した都合のよい作り話であるのか、私には分からない。ただいつの頃からか私はこう考えるようになった。嘘というものはそれが嘘だとばれていようといまいと、つかれた瞬間から何者かに向ってばれているものなのだ。嘘がその後誠になろうと、あるいはそれをついた本人すら嘘か誠か分からなくなろうとも、嘘は嘘でありそれは刻印のように私という存在を穢していくのだ、と。嘘をつく、ということはその穢れをわが身に引き受けるということであり、それ以上の是非ではない。生きていく以上無垢なままではいられず己の悪臭を嗅ぎながらいつしかその悪臭に慣れていく過程が老いではないのか。
私は穢れている。これまでについてきた幾千幾万の嘘によって穢されている。誰にも見せられぬ分かち合えぬゴミ溜めを己の真ん中に抱えて、せめてその悪臭に慣らされまい、と思っている。
(II)
「来週会える?」
「あ、ごめん、仕事だ」
嘘、と分かる。
そういう嘘は分かるものなのだ。
私はがっくりと自己嫌悪に陥る。
嘘だと分かってしまう自分に、相手に嘘をつかせてしまった自分に、嘘をつかれるような自分に。
嘘をついた相手を許す許さぬなど私の範疇の外だ。私に相手の嘘を裁くことなどできはしない。
むしろ、つかれた嘘は翻って私を裁く。
会えるかと問うた私に会いたくないと答えることなどできぬは百も承知で、それでも問えば嘘をつかざるを得ない相手の優しさに胡坐をかいて、私に会いたくない相手を罰する私のいやらしさ。
私に会いたくないを知っていてそれでももしかしたらの甘い期待がどんなに相手を苦しめるかを知らぬわけでもあるまいに、それでも問う。私は浅はかだ。
とっさについた嘘は、体を蝕み、心を侵食し、ぬぐってもぬぐってもまとわりつく自己嫌悪を生み、そしていつか嘘をつかせた相手への憎しみにすら変わるだろう。
それが嘘をつかせるような問いを発した私への、罰だ。
人間は誰でも嘘をつく。優しさから、弱さから、虚栄心から、嘘をつかされればつくものだ。
私達の体はスポンジのように嘘を含んでいて、外圧がかかれば耐えかねてぴゅっと嘘を噴き出すものだ。外圧に対する耐性は人それぞれ違っていて、めったなことでは嘘を押し出されない強い人間もいれば、ちょっとした圧力で嘘を噴き出してしまう人間だっている。
大切なのは嘘をつかせぬことだ。嘘をつかざるを得ないような状況に相手を追いやらないこと。それができずして何の思いやりだ、なんの愛だ。
「すみません、やってあったんですが」「本当は分かっていたのですが」「いいえ煙草は吸っていません」「ほんとになんにもなかったって。」
言い訳、作話、取り繕い・・・相手を問い詰め追い詰める私という存在の圧力があってこそ生み出される悲しき嘘。
大丈夫叱らないから、大丈夫怒らないから、大丈夫嫌わないから、つまらない奴だなんて思わないから、大丈夫好きでいるから、どうしてそう伝えてあげられないのだろう。なぜ思わず嘘をついてしまうような場を作り出してしまうのだろう。
そういう意味では嘘はつくものではなく、つかされるものではないか。いい訳、ちょっとした作り話、大袈裟な表現、分かった振りをしてうなずく相槌。私達に嘘をつかせようつかせようとのしかかる様々な圧力、ストレスから自らの外郭を強く保ち、己自身と寸分もたがわぬ表現しかせぬこと・・・嘘をつかずにいることはある種忍耐である。
だから嘘をつくことは罪ではない。嘘をつかれることこそが、嘘をつかせた私への罰である。
(III)
私は嘘つきではないと信じさせようと、「私は嘘つきだ」という文を書く。
「私」はどこまで知っているのか。
ある意味では私は全てを知っているのだから、嘘つきは存在しない。
「あ、ごめん、仕事」と嘘をつくことによって、(意図するしないかかわらず)「ごめん、君には会いたくないんだ」と言うよりももっと的確に会いたくない旨を伝え、私はそのメッセージをしかと受け取っているのだから、嘘はどこにも存在しない。
重要なのは言表レベルが嘘を含むか否かではなく、コミュニケーションが成立するかどうかであるならば、嘘という行為には何の意味もあるまい。
だが、やはり、と私は思う。「嘘をつく」という行為そのものが重要なのだと。
なぜ私は嘘をつくのか。いや、私の存在そのものが嘘で作られ、深い井戸の底を手探りでかき回すように、あるいは目を凝らして太陽の黒点を探すようにしてしか、真実を語れないのはなぜなのか。「指し示し」という言葉に付随する性格がすべてを嘘にしているのなら、なぜ、にもかかわらず真実を語りうると素朴にも信じているのか。
問うべきなのは「なぜ嘘をつくのか」ではなく「どうやったら嘘をつかずにいられるのか」あるいは「どうやったら真実を語りうるのか」ではないか。
私は弱い。心情を吐露したような過去の日記を読みながらでさえ、これも嘘であったあれも嘘であろうとどれもこれも破り捨てたいような衝動にかられる。破り捨てないのは、それを書いたその時々の自分の「まじめさ」を信じているからである。
と同時に私は目の前の人の、その瞬間の「まじめさ」を信じている。私の理解力のなさゆえにその言葉を言表レベルで嘘にしてしまうことがあったにしても、目の前にその人が存在するというその一点だけは動かしようのない事実であり、全ての理解はその一点からしか始まらないように思う。
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みにうささんの血液型TB 14弾に参加中。
「ウソを許せる?許せない?
そしてあなたはウソをつけますか?」
お題の「嘘」とはかけはなれた話になってしまいました。すみません、みにうささん。
え?いつものこと? ・・・・・・・・・・・・・m(_ _)m
「ウソは許せる?許せない?」
許す許さない、というより、気にしない(ようにしている)。人は嘘をつくものだから。
自分が嘘をつかれるような存在であり、あるいは相手に嘘をつかせるような場を作り出したということに関しては、かなり凹む。
特に患者さんの「ええ、煙草はもうやめました」、後輩の「本当はやってあったんですけど」は、自分の存在がそういう相手の反応を生み出している可能性があり、猛省する。
「そしてあなたはウソをつけますか?」
ええ、ええ。私の人生なんて嘘だらけ、よん。 <おい
こんなことを言ったあとに血液型をいうのははばかられますが・・・
B型です。
すまん、B型の同志。
○●○●○●○●○●○●○ 血液型TB第14弾 ○●○●○●○●○●○●
あなたならどっち?
第14弾 お題
「ウソは許せる?許せない?
そしてあなたはウソをつけますか?」
お題にそった記事を こちらまでTBして下さい。
締め切りは7月9日(日)とします
テンプレと一緒に 必ずあなたの血液型も 記入してください
追記
血液型公表したくない方、
自分の血液型を知らない方は『自由型』での参加も可です
※誰でも参加出来るように
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企画元 明日 晴れるといいな
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