何があってもどんなに忙しくてもトラバボケだけは参加しようと思っていたのに・・!
逃してしまいました。
しかも締め切り一時間延長だったんですね。
それだったら間に合った・・・・くそぅ。
まあ、追い詰められて書いた奴だから出さなくてよかったかも。
手直ししてそのうちアップしよ。
それまでは他の参加者さんのところにはお伺いしませんので!
トラバボケになんでこんなに一生懸命かというと
これなしでは今創作が書けないから。
どんな駄作にしろ時々創作を書いて
自分の胸に澱みたいに溜まって行くコトバの断片を吐き出しとかないと
排気口のところで目詰まりをおこしそうになっちゃうのよね。
じゃあ勝手に書けばいいじゃないかというと
日常生活を送るのに必要ない部分だから
決められたアウトプットの形を用意してさらに追い詰められないと出せない。
慢性便秘で時折浣腸するみたいなかんじ?
むしろ摘便って言った方がいいか。
便秘もそうなんだけど、慢性化してしまうと出すのが大変。
軽い下剤を使ってでも毎日出していく習慣をつけた方が
数日に一度強力な下剤や浣腸で吐き出すより楽。
下剤までいかなくても、ウォッシュレットなどで肛門を刺激してあげるだけでも
効果がありますよ、って患者さんには言うんだけど。
結局日々の生活に追われていると、ウォッシュレットがないんだよね。
TVはもちろん、へたすりゃ、新聞も読まない、ブログ巡回もしない。
小説なんてここ数ヶ月読んでいなかった。
それじゃあ出るものもでないばかりか、出るものがない、って事態になる。
それならそれでもいいじゃん、毎日手術してれば楽しいんだしさ、なんて開き直る時もあるんだけど
ブログをやってきて思うのは、適切なアウトプットによって得るものがあるってこと。
食べ物だって口から入ってお尻から出て行く間に身体になんかしら残していくもの。
実践だけでなく、言葉にするという過程で得るものがある。
大学病院に勤めていると嫌でも学会発表なんてのをたまにはしなくちゃ居心地が悪くなってくる。
日常業務が終わってから睡眠時間を削って準備して
同僚の冷たい視線(<お土産のひとつで忘れさられるくらいのものではあるけど)をあびつつ休暇をとり学会に参加して
この世界で名を売ろうと思うならまだしも一診療医としてやっていくのになんの価値があるのかと思ったこともあったけど
結局アウトプットする過程こそが重要なんだな。
他人に対して自分のやっていることが正しいと主張することの意味っていうのは
他人からの突っ込みに備えて理論武装するってことだし
そうすることで頭の中に漠然と作られているイメージが鮮明になる。
学会っていうのはしかも締め切りをつけてちゃんと追い立ててくれるのだからありがたい。
ブログも学会発表も論文発表も結局のところ自分の成長のためで
参加を表明してから「あー間に合わないっ」って後悔するほど追い詰められるっくらいがいいのだろう。
つうわけで、次のトラバボケは絶対参加するっ、と決意表明してみたりする。
すみません!コメントレスは明日、必ずっ。