あたしは耳が悪い。
昔からなんかおかしいなあと思ってきたのだけれども
低音域の聞き取りが極めて悪いらしい。
友達としゃべっていても会話の流れにはのっているつもりなのに
駄洒落とかいきなり話題が変わった時とか
突然会話についていけなくなる。
いきなり外国人の中に突き落とされたみたいに 相手の顔がすっと遠くなり
分からないまま笑顔だけを顔に張り付かせてその場を乗り切る。
電話をするといつも押し付けられた受話器で耳が痛くなるのだけど
聞こえない声を聞こうとして必死になっているからだろう。
だから電話は嫌い。
そんなものだと思っていたからあまり気にせずきたのだけれど
手術をするようになってはっきり分かった。
あたし 耳が悪い。
文脈を読むのは早いから 声が聞こえてなくても会話の流れは分かるし
たぶん表情や口の動きも見ていたのだろう。
それで聞こえているつもりになっていた。
手術中は顔がマスクで隠れているし 何より視線は術野だから
表情や口を見ることができない。
周りは男ばかりで声が低いし マスクでさらにくぐもった声になる。
手術に関することであれば 相手の手先を見ていれば言われる前に要求は分かるから
突拍子もないことでないかぎり困ることはないのだけど
雑談には全くついていけない。
(言葉にしなければ分からないようなことは、先に自分から聞いてしまう。
次は○○でいい?といった形で。)
以前手術中にしきりに話しかけられる病院にいた時
あたしは全くダメダメだった。
話しかけられても聞こえてないから相手はいらいらするし
あたしは焦って術野から目をそらし相手の顔を見てしまう。
そして何よりも心が通じ合っていないから
相手の気持ちが読めないのだ。お互いに。
あたしはそこからさっさと尻尾を巻いて逃げ出して
だけど外科医をやめようとは露思わなかった。
ただ 身体に染み込んでこない手術は覚えたくない、そう思っただけだった。
<このころから図々しいw
(このときはまだ耳が悪いとは思っていなかったのね。
ただ、なんでこの人たちはこんなに苛苛しているのかなぁってw)
もともと私が育った環境は、手術中にあれこれ言われないのが当たり前で
だから助手をする時も教わりながら術者をする時も
心全体を研ぎ澄ませていれば手術はすすんだ。
「先生前回見せていただいて、たぶんもう一人でできるから、今日は黙っていてくださいね」
そういえることが理想だったし、
教える側にとっても口に出さず導けることが望ましいありかただと、そう教わった。
(「あぶちゃん、いい助手はね、何も言わず黙って場を展開して自分の思うとおりに術者に縫わせる助手のことだよ。それができるようにならないと誰かを指導している、とはいえないんだよ。口でぎゃあぎゃあ注意するようじゃまだまだなんだよ。」)
基本的に手術に会話はいらない。
やりなれた術式はもちろん 初めての術式でも
相手の指先に心を沿わせていれば 次に何をしたいのか何をするべきなのか
おのずと分かるものなのだ。
(もちろん基本的な知識と技術があれば、だけれども)
それは声を聞き取れなくても 分かり合うことができるのに似ている。
相手に気持ちを沿わしていれば しぐさや視線、手の動きにつられるように自分の身体が勝手に動く。
まるで見えない糸に操られた人形のように。
(セックスだってそうだよねぇ。いちいち言葉にするのは「特殊な!」場合だよね^^)
そうすることで言葉を介さず自然と手術は身に付くのだし
師が乗り移ったように、直接身体に染み付いていくのだ。
耳がいいのにこしたことはないけれど
あたしは耳が悪いことで無意識に、たぶん他の感覚を磨いてこれた。
手術中の雑談に乗れなくて仲間はずれだったり
がみがみ言われるだけでちんぷんかんぷんだった頃は辛かったけれど
お陰で自分のしたい手術を探すことができた。
その頃からあたしはもっと、透明な手術を求めていたのだと思う。
P.S.
器械出しの看護師さんも、耳の悪い人は初めは苦労するようですが、慣れてくるととても上手になる人がいます。
指示に頼らず自分で術野を見て、次に渡す道具を考えようとするからなんでしょうね。
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私が外科に向かない20の理由 その4■□