かがくとまじゅちゅ
体の中の 水は
細胞の中と
血管の中と
細胞のまわり (間質といいます) に存在していて
細胞の中と 血管の中に 存在できる水の量は限られているけど
間質には おどろくほどたくさんの水を 貯め込むことができる。
(体重にして 一晩で10kg増やす事も 可能なのです)
かぜをひいたり 手術をしたり 体の中に毒が入ったり
とにかく 体が やばい状態になると
血管の壁の透過性が 亢進して 水が 血管内から間質にもれだしていく。
そうやって体は 間質に 水を貯留する。
体調が悪いときに体がむくんだり 足をぶつけると腫れるのは このためだ。
やばくなると なぜか 体は 水と塩を貯めこもうとする。
海から陸に出たことが 生体にとって そんなにも トラウマだったのか と
遥か昔の孤独な細胞を 想わせる 体の哀しい性。
乾燥しきった大地に生きた我々の先祖とは違い
今では 足りない水を 血管内に直接 点滴する事ができるのに
それを知らない 傷ついた身体は 3億6000万年前のトラウマから抜け出せず
水を吸い込む乾いた砂漠のように もっと水を もっと水を と手をのばす。
だから 重症管理の要点は 水の管理にある といっても過言ではない。
大きな手術をすると 血管壁は ざるみたいに すかすかになって
点滴しても しても 水が血管の外に もれ出てしまい
間質は むくんでびしょびしょなのに
血管の中は 脱水
もっと水を の声に促され 点滴をじゃぶじゃぶしたくなるのが 人情だけど
水を入れたほうが 血圧もなにも 安定しやすいのだけど
調子に乗って入れた水は 数日後
洪水のように 肺や腸を襲い 数々の合併症を引き起こす。
だから 体を殺さない程度の ぎりぎりの水分を 心を鬼にして 少しづつ入れて行くのが大事で
水を制するものが 病気を制する といってもいい。
なんて 見てきたような事いってるけれど こんなのは あくまで想像。
ほんとのとこは 誰も知らない。
こう説明すると 一番しっくりくる というだけのこと。
血管の壁がすかすかになっているのなんて目には見えないし
貯めすぎた水の洪水だって
合併症を説明するために作られた 神話にすぎない。
神話を事実にするために
科学のふりをして いろんな研究がなされているけれど それとて
復活を証明するために キリストの墓を掘り起こす類の努力。
でも 入れても入れても どこかに水が逃げてしまう 乾いた広大な砂漠の真中にいる恐怖だけは 本物で
それは 3億6000万年前の 呪いとしか いいようがないのだ。
私たちは 未だに
呪いと神話の世界を生きている。
重症者の管理は
地下の水脈を探るように
大地の鼓動を感ずるように
患者の体に触れ
心を研ぎ澄ませて
自分の入れている水が 患者の体の中で 分配されて行く様子を 感じ取るしかない。
それはね
一晩中 患者から離れない ってことでしか できるようにならないんだよ。