料理だなんてたいそうなことだとは思っていないけれど
台所に立つことがいつしか 私にとってとても意味のある行為になった。
誰かのためにご飯を作っているわけじゃないから 一人暮しの台所なんて気楽なものだ。
何時でもいいし 何でもよい。
気が向かなければ湯を沸かすだけでもいい。
ただひとつルールがあるとすれば 「真向かう」こと それだけだ。
自分の空腹に 自分の欲求に 自分の身体に 真向かうこと。
野菜のぱりぱりに ひき肉のねっちょりに 魚のつやつやに
それぞれが生きて 此処に来るまでの生に 真向かうこと。
火と水と刃物と時間とに 真向かうこと。
たいしたことじゃない。
幼い頃 飽きずに繰り返した 泥遊びみたいなものだ。
ねちょねちょと指の間から流れおちる泥
冷たい水溜り
膝の擦り傷に沁みる泥水
刻一刻と迫る夕暮れ 泣きたくなるほど赤い夕日
どっぷりと水を含み重くなった長靴
飛んで家に帰ると 父さんが庭で 落ち葉を焚いていた
胸を焦がす ぬくさ懐かしさ
幼い私にとって それが世界であり
世界は大きく圧倒的で そして儚いものだった。
世界は風のように 形を変え姿を変え いつも私の中を吹きぬけていた。
泥まみれになって遊ぶように 私は台所に立つ。
雑草を千切るように野菜を切り 土団子を作るように肉をこね カエルをさばくように魚をさばく。
草の青臭さ 指の間を滴る血 手にまとわりつく脂
切った瞬間流れ出る命 湧き上がり吹きこぼれる力
幼子のように 世界と戯れ 世界を相撲をとり 世界をしゃぶりとる。
世界を食う・・・・・腹に入れる。
これまで私にとって家は 求心性の構造をなしているものだった。
自宅のアパートは丸くなって眠るために そのためだけに
ぼろきれを集めて作った鳥の巣のように 中心に向けて作られてきた。
並んだ植木鉢も水槽も 壁のポスターも 私に所有され囲い込まれた箱庭のオブジェで
私は見知ったその空間の中心で 膝を抱えて丸くなって眠る。
家は私を守りぬくぬくとした安眠を与え あらゆる冒険の気苦労から隔離する。
停滞した気だるい暖かさ 布団の匂い。
だが家の中にあって唯一台所の その空気のなんと冷たく なんと張り詰めていて
そしてなんと すがすがしいことか。
そこにあるのは
外界の息吹 所有不可能な生命 絶えず吹きこみ流れ出る未知。
そう 私にとって台所は 世界に向けた窓だ。
所有不可能な未知の素材に向けて開かれた 窓。
私はそこで 精一杯の敬意と感謝と 畏れを 世界に捧げる。
台所に立つのは 祈りに似ている。
ここが女の場所とされてきたことに
抑圧され蔑まれた者の居場所がここであったことに
私は泣きたいほどの 感動を覚える。
彼女たちは なんと素敵な場所を 占拠しつづけてきたのだろう。
台所に立たざるを得なかった者たちの飢えた口に
そこで調理されたものが入ることはめったになかったのかもしれないが
それでもなお 台所は 家の中にあって外界と直接的に結びつく結界であったのではあるまいか。
そこでは世界と そこからはじき出された我々の世界とが火花を散らして直に触れ合っている。
私達は口を介して そこに続く内蔵でもって 世界と直に出会う。
自分の中心で 外界を受け止める。
台所はその入り口だ。
願わくば これから私が落ちるであろう恋も
台所に立つような そういう恋でありたいものだ。
そこに立つことそのものが 世界に向けた開かれであるようなそういう場所
ありとあらゆる見知ったもの、体温でぬくまった既知、安らぎという名の澱みを
彼方へと吹き飛ばすすがすがしい風が吹き付け続ける
そういう場所に 立っていたい。
大根の雑炊が好きだ。
どこで覚えた味なのかは 記憶の底をまさぐっても全く思い出せないが
体中の細胞が打ち震えるほど なつかしい。