ぴいなは1歳(と二カ月(追記))になりました。
4月から保育園に通い始め、(今年は空きがあり無事入園できました!)私も少しずつ仕事を通常運用に戻しつつあり、日によってはパパと二人でママを待ちつつ寝落ち、なんて時も。1歳児の家庭環境としていかがなものかと悩みも不安も尽きない日々。
それでもよくしたもので、ぴいなはお陰様ですくすくと育ち、もう「赤ちゃん」ではなくなってしまいました。二本足でとことこ歩き、スプリンクラーのようにご飯をまき散らしながらもスプーンで自ら口に運び、お皿をひっくり返す代わりに両手を合わせてごちそうさまの合図ができるようになりました。
子どもを産む前の想像では、言葉をしゃべれない生活なんてどんなに不自由で不安だろうかと思っていましたが、ぴいなを見ている限り、意思疎通に不自由も不安も大きな苛立ちも感じている様子はなく、本人なりにジェスチャーと表情と宇宙語だけの世界で十分楽しく暮らしているようです。
今はとにかく、「意思疎通できている」と感じ合うことが何よりの喜びで、大人にお菓子の袋を渡して開けてもらう、手に持ったお菓子を差し出して食べてもらう、そんな日々のやりとりがそのまま遊びであり、学びであり、生活そのものであるようです。
「本気のダメ」と「ちょっと辞めてほしいけどまあ許せるダメ」の違いが分かるようになり、「これはどっちのダメ?」と確認したくて、わざと怒られることをやってみるという小憎らしい態度も。言葉が分からない分、その背後にある感情やニュアンスに敏感なのでしょう、「ちょっと辞めてほしいけどまあ許せるダメ」なんだなと判断されたものは、容赦なく遊び道具にされ、大人の気を引き追いかけっこ開始の合図に利用される始末。それはそれで彼女なりのコミュニケーション手段なのだと許容することにしましたが、私の方がこちらの気分や気まぐれでその線引きが変わらないよう、「ダメ」の重みが軽くならないよう、意識的に「ダメ」を使い分けなくてはならなくなり、どっちが教育されているのか分からない状態です^^
と、ここまで書いたのが二カ月前。アップする時間がとれないまま放置になってしまった記載を読み返してみると「こんな時期もあったのだなあ」とたった二カ月ですでに過去の出来事になっていることに驚きました。
靴は履く物、服は着る物だってわかってきたこと、階段を登れるようになったこと、鼻をかめるようになったこと、ファンヒーターがピーピー言ったら延長ボタンを押せばいいこと、音楽が聞きたかったらメリーのボタンを押せばいいこと、それからそれから・・・・できるようになったこと、分かるようになったことがいっぱいあって、日々更新されていく新しいことを書き留めたいのに、どこかに残しておきたいのに、時間は嵐のように過ぎ去り、今日も片乳にぴぃなをぶら下げたまま泥のように眠りに落ちる日々。
(書きたい欲は、ぴぃなが寝てからゴソゴソと書きこむ保育園への連絡帳で満たされているのかもしれません・・・毎日毎日細かい字でびっしりと書き込まれる日記にご丁寧な返事を返してくれる保育士の先生、ご苦労様です^^)