仕事に復帰しておよそ一月経った。
昼間は自営の夫が仕事の傍らぴぃなを見ていてくれる。
つたい歩きができるようになって動きたい盛り、さらに後追いが始まって、目が離せないぴぃな。
もともと気が短くうるさいのが大嫌い、加えておっぱいという最終兵器を持たないパパとどうやって過ごすのか、心配で心配で初めの頃は仕事を早めに切り上げて帰宅したりもしたのだが、どうやらそれは杞憂だったよう。
夫なりに色々工夫をして、べったり寄り添うのではない、私とはまた違った親子関係を構築してきているようだ。
私の前では赤ちゃんのぴぃなだけど、夫の前では小さな大人。
言葉を持たず泣くしかないのだから泣いたっていいじゃない、赤ちゃんだもの。
ただただ抱っこして欲しい時もあるよね、赤ちゃんだもの。いいよ、いっぱい抱っこしてあげる。
腕の中で花のように笑っていてさえくれれば、腕のしびれもトイレもご飯も、苦でもなく我慢できる母親は、その日のご機嫌次第でいじれて泣くのを、抱っことおっぱいでさっさと黙らせてしまう。放っておけば火の付いたように泣き続けるのが目に見えているのだもの。
だが夫は決して抱かず、でも離れず、耳をつんざくような泣き声の隣で、じっと諭し続けるのだ。泣いてもなにも変わらないよ、って。そうなると根比べ。ぴぃながいくら意地っ張りだといっても夫には敵わない。最後には自分で”泣くこと”から気を逸らせてくれるおもちゃなり遊びなりをみつけて自力で泣き止む。そこで初めて思いっきり抱っこする。頑張ったね、自分で泣き止んで偉いねって。(そして独り言「パパも頑張ったんだよ」って。)
違いは「駄目」の教育にも現れている。まだ7ヶ月、駄目って言ったって分からないのだから触って欲しくない物は予め隠しておく私に対して、リモコンでもティッシュペーパーでも危なくない限りはそこに置いたまま、「駄目」を繰り返し繰り返し教える夫。ぴぃなは怒られる意味が分からないから機嫌が悪くなる。いじれる。
少なくとも小さいうちは自由に遊ばせてあげた方がいいと思う私と、「駄目を教える場」を重視する夫。これも夫婦の方針は分かれたのだけど、結局ぴぃなは「机の上には手を伸ばさない」を学んで夫に軍配が上がった。
私とは違うやり方。接し方。こんな小さいのに、と思わないでもないけれど、夫は夫なりの方針を守って立派にパパをやっている。
とはいえさすがに丸一日ぴぃなの相手は疲れるのだろう。私が帰宅するなりほっとしたようにさっさとぴぃなを押しつけて自室に向かう夫。「ごめん、一人の時間」が口癖になった。
私には先回りして居心地を整える自己犠牲があり、夫には根気と忍耐がある。
そして多分、夫には早く自立して欲しいという下心があり、私にはいつまでも赤ちゃんでいて欲しいという欲求がある。
反対の二人の間で、今日もぴぃなは頑張っている。
頑張ったねって一晩中抱っこして添い寝するのはまだまだママの特権。