目が覚めたら体の中から言葉が消えていた。
今日は朝から手術で、言葉が消えたからといって呆然としている暇はなかったし、そもそも手術をするのに言葉なんて邪魔なだけだから血管縫っている最中はそんなこともすっかり忘れていたのだけど、ひと段落着ついていつものくせでPC開いてWord立ち上げて新規作成された真っ白な画面を前に、書くべき何をも失っている自分に改めて気づき、コーヒーを入れてみたり、頭を叩いてみたり、眉間を揉んでみたり、お気に入りに入っているブログをかたっぱしからかちかちクリックしてみたり、でもなにをやっても無い物はやっぱり無くて、研究室の椅子にもたれて天井を見上げ体の底をじっと探すのだけど、体の底どころか指も足も頭もお臍も、体のどんな小さい片隅にも言葉の欠片すら見つからない。
あまりのことに唖然として、と書きたいところだけど、実際には唖然とするなんていうみずみずしい感情などどこにも無くて、体の芯から石になってしまったみたいに硬直しているから、三連休だっていうのに御丁寧にも毎日一つづつ続いた緊急手術のせいですっかりかちかちに凝ってしまった肩やら首やらから伝染病みたいに石化が広がって、このまま生きながら化石になってしまうのかもしらんと、まあそれならそれでよいか、いずれにせよたいした言葉を書き綴っていたわけでもないのだからね、ただ言葉を紡ぐということがあたしにとってはひとつの救済であったわけで、それなしにどうやってこの先生きていくのだろうか、あたしはもう駄目かしらん、でも駄目っていったって死ぬわけぢゃない、死ぬわけではなくて生きるわけでもなかったら、いったい何なのだろう、空っぽだ、空っぽのまま空っぽをやっていくのだろうか、やっていくっていうのは全く能動的な単語だけれどこういう場合はなんていうのだろう、英語だったら簡単、beだわね、そこにそうあるということ、ただそれだけ、である、ということ、空っぽである、私は空っぽである、いや、私はなんて主語もいらない、その点日本語はいい、itすら使わなくても文が成り立つ、名指しを行わなくても文が成り立つっていうのはいい、この空虚さを表すには日本語でなくちゃいけない、日本語って空虚な言語だわね、ただそこにある言葉、ただそこにたゆたう言葉、何も主張せず、何も指し示さず、ただそこにあるということ、まるであたしみたい。
ああ、ばかばかしい、言葉遊びをしたって何も始まらないし何も解決しないのに、なんだってあたしは椅子に根っこを生やしたまま天井を見上げて身動きもできずにいるのかしら、今日は三連休の最後で今日こそばあちゃんのお見舞いに行くとか実家に帰るとか、修士生の卒論を添削するとか事務に出す書類を片付けるとか、ついでにいうとイモリの餌が切れたからめだかを買いにいかなきゃいけないしそろそろたまった洗濯もしなくちゃいけない、あああと細胞の培地も変えなきゃいけないのだった、なのにさっきからもう一時間も椅子に座ったまんま動けないんだ、動こうと思えばきっと動けるんだけど動けるような気がしない、無理に動いても立ち上がるのはあたしの殻で、あたしの方はといえばそのまんま椅子に取り残されているような気がして怖いから試してみない。
ああ、なんだってあなたはあたしから出て行ってしまったのかしら、唐突に声に出してみる、なんだってあなたと終わっちゃったんだろう、なんてね、唐突なんてうそ、ずっと思っていたくせに、思わず声に出しちゃったら止まらないじゃない、考えたって始まらないから考えないようにしていたけれど、結局そこのところの言葉が体の中で目詰まりをおこして残りの言葉が腐ってしまったんだ、あなたが居なくなった後かたっぱしから色んな男と寝てみたしそれぞれそんなに悪くはなかったけれど、あたしはいつも目を開いて天井を見ている、誰もあたしの中にはあなたのようには入ってこないし、だからあたしはあれからずっと空っぽなんだ、でも寂しいわけじゃないよ、あなたがいなくても生きていける、空っぽだって生きていけるのだから、明日もあさってもその次も仕事でこのまま永遠に仕事が続いていればいい、ひとりぼっちにならないようにずっとこのまま仕事が続けばいい。
夜が怖いような気がする、仕事の無い夜が、誰かに電話をかけそうになる夜が怖い、寂しいわけじゃない、ただ電話をかけないように自分を抑えるのが辛いだけ、あなたにはかけないよ、あなたにだけは電話をしない、それだけは、それだけはだめ、それはできない、それはしない、そうやって飲み込んだ言葉があたしの中で腐っていく、切開排膿は外科医の基本手技なんだけどね、この膿は出せない、出すくらいならあたしの中であたしもろとも朽ちるがいい。
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3日間ずっと手術だったことと、書くことがない、ってことだけ 本当です。
あとは創作ですので、御心配なく。
あ、やらなきゃいけない仕事もホント。
というわけでめだか買いに行ってきます。 (<修士生の卒論はいいのか? おい。