店の前の小路に打ち水をすると、先ほどまでのうだるような暑さが嘘のように、しっとりとした夜の涼やかさが匂い立ちます。
「こんばんわー。」
「いいお晩ですねぇ。」
風呂敷包みを胸に抱えた奥様方が会釈を交わして通りすぎ、その後はちりんちりんと自転車のベルを鳴らして、お使いに出された書生さんでしょうか、さっと坂を下っていった後は、もう通る人もいない夏の夕暮れの小路でございます。
遠くでかなかな蝉がひとつ思い出したように寂しげな鳴き声をたて、店番の男は、さて、と思い立った様に、店じまいの準備をしようと立ちあがりました。
軒先に並べたこまごまとした雑貨の埃を叩き、よいしょっとばかりに売台を持ち上げたそのとき、
「あの」
消え入るような小さな声がいたします。
「へい、いらっしゃい」
顔を上げる前にいつもと変わらぬ威勢のいい声をあげたのは、店番の男の身についた性というものでございましょう。
こんな時間にめずらしい、腹の中ではいぶかしんでひょいと顔をあげるとそこには、年の頃は19、20のそれはそれは美しいお嬢さんが肩に振りかかる垂髪もつややかに、暮れゆく夏の夕日の最後の一片に照らされ、立っておいででありました。
このあたりじゃあ見ないお人だ
どことなく儚げなお嬢さんのその有様を、店番の男は客商売の愛想のいい作り笑いを浮かべてそれと悟られぬ様に見上げましたが、見れば見るほど世離れした美しさに背筋が寒くなるような気持ちがして、あわてて目を伏せてもみ手をいたします。
「何をお探しで。」
「蝋燭を。」
「へい。幾種類かございますが、ご覧になりますか。」
店の奥にいったん引っ込んで、箱一杯の蝋を抱えて男が出てまいり、その箱を嬉しそうにお嬢さんが覗きこもうとしたそのときでございます。
何かに追われたらしい黒猫がさっとお嬢さんの足元を通りすぎ、きゃっとびっくりした拍子にお嬢さんが蝋の詰まったその箱に手をつき、支えを失った男の手から箱は真ッさかさまに落っこちて、箱一杯の蝋燭は狭い店の端から端までそれどころかさっき打ち水をしたばかりの小路にまで、飛び散ったのでございます。
びっくりしたのはお嬢さん。
雪よりも白い頬をかぁっと紅く染めて、すみませんすみませんと屈んで一心に蝋を拾い集めようとなさいます。
「あれまあ、お嬢さん、もったいねえ。大した事ごぜえませんから。放っておいてくだせえ。」
お嬢さんの慌てた様子に男はさらに驚いて、あれまあ もったいねえ、と繰り返し、お嬢さんの手を止めようといたしますが、すればするほどお嬢さんは狼狽し、ますます一心に蝋を拾おうといたします。
と、ことがおこったのはその時でございます。
「すみません、すみません、まあ、どうしましょう、私。」
と、売台の下に転がり込んだ蝋を拾おうといっそう頭を屈めたそのとき、お嬢さんの首が、あろうことか肩からはずれて、ごろりと落っこちてしまったのでございます。
落っこちた、というと少々事の次第をおもしろおかしく申し上げている様であるかもしれません。
正確に申せば、お嬢さんの折れそうなほどに細いその首っこがにょろりと伸びて、支えを失った柔らかい飴菓子のように、頭の重さに耐えかねて下に垂れてしまったのでございます。
お嬢さんは慌てふためき、床に落ちたその首っこを拾い上げ華奢な肩に戻しますが、気の毒なほどに狼狽なさっておられるから、戻そうにも首っこは元の様には定まらず、右に傾いたり、左に傾いたり、ひどくは前後を逆さに乗ったり、折角なんとか定まっても、すみません、すみませんと再び頭を下げるもンだから、頭はその度に床に落っこちて、すいません、ごろり、すいません、まぁどうしましょう私、ごろり、すみません、ごろり、とまあ、こんな次第でございます。
店の男は驚いたのなんの、あぁろくッろッ首だって思いはすれども、腰を抜かして声も出ず、ただ呆然とお嬢さんの転がる首を見ておりましたが、どうにもこうにもそのお嬢さんの透き通るような細い首が何度も何度も土間に転がる様を見ておりますうちに、なんとも言えず、哀れな切ない心持ちになってきたのでございます。
「もう ええ。」
初めの一言は蚊の鳴くようなか細い声でございました。
その声が慌てふためき我を忘れたお嬢さんの耳に届かないことを知ると、次の声は男の腹の底から響きました。
「もう ええ から。」
そう言うと男は、片手で首を支え片手で蝋を持つお嬢さんの白魚のような手を、そっと握ったのでございます。
お嬢さんの手は、ことの他冷たく、まるで死んでいなさるお人のようであったと申します。
お嬢さんは傾いて乗ったままの首をほんの少し傾げて、男をご覧になりました。
いつの間にやらお天道様も沈みきって、こおろぎの音が辺りを包んでおりました。
小路はとっぷり闇に包まれ、店の明かりだけがぼんやりと散らばった白い蝋燭を照らし出し、夏の夜はさらさらと更けていきます。
しゃらしゃらまいれ。
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