「わき腹がよわいの?」
男が笑いながら女の顔をのぞきこむ。
男の指が波のようにくりかえしくりかえしわき腹から腸骨稜へむけてのくぼみをなぞる。
海にもぐる直前のようにつっと息をつめて、女は目をとじる。
くすぐったいから、というその声は語尾まで聞こえず、吐息にかわる。
もう体は海に溶け始めている。
男の指先は溶けた彼女の体にさざなみをつくり、風をなぎ、
女は海の底から目をあけて、彼をみあげるけれど、水面で乱反射する光のせいで、よく見えない。
波は次第におおきくうねり、彼はどんどん遠くなっていく。
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ある方の海を描いた記事を読んで私も海を描きたいと思いました。
でも 山育ちの私には実感をともなって描くことのできるどんな海もなく
結局のところ体験の幅の限界が想像力の限界なのかと 少々寂しく 思いました。
私のとっての 海は
私自身の体であり 夜であり 細胞であります。
すぐそこにある無限
すぐそこにある未知
それが 海 です。
私たちの体の細胞は その成分が 昔の海水に類似していて
私たちは 細胞ひとつひとつに 太古の海を 抱え込んでいるのだと
医学部の生理学の授業の一番初めは そんなフレーズで始まりました。
はるか昔 海から陸へ上がった孤独な細胞の その
渇きを
こんな稚拙な一節で表現しようとするのは
生命への冒涜であるのかもしれませんが
でも 私は 誰かが私の中を ゆっくりと満たしていくとき
いつも思うのです。
ああ 海に なる、 と。