外勤先の当直室に持ち込んだ本は昼のうちに読み終え
本当は論文仕事などするつもりで重いのを我慢して用意したPCも
習作と題した駄文を書いては止まり書いては止まり
結局それだって形にはならぬまま 題名の上につくナンバリングだけが増えていく。
いったい当直室というところは 漫然と時をつぶす以外に
いかなる仕事をする気も吸い取る 時の塵箱のように思われる。
ほとんどお盆の外泊で空いている病室を数時間おきに覗いて歩くほかは
すえた匂いのするしけったこの部屋で月曜の朝までの二日間を過ごさねばならぬ。
とはいえ世間のお盆を 死んだ母さんの墓参りにも呆けたばあさんの見舞いにも行かず
こうやってひとりのほほんと過ごせるのはまさにこの陰気な当直室のお陰な訳で
加えて飯がうまくネットにも繋がっているのだから神様のくれた夏休みには違いない。
壁沿いには 現代外科学大系全80巻(1971年刊!)の黄色い表紙が埃を被って並び
ここ数年誰もそれを手にとっていない証拠にその上に山と積まれたアダルトビデオもまた
しっとりとした厚い埃を纏っておそらく今となれば懐かしい時折横線の入る安っぽい画像を
再び日の目に晒す機会をじっと待ち続けている。
煙草の脂で煤けた天井に近い壁には「夜明け前」の冒頭の一節が彫られた額がかけられ
そのすぐ横の大きなポスター(破れた隅をわざわざセロハンテープで補修してある)の中では美しく日焼けした裸の女が大きな胸を挑発するように持ち上げこちらを見つめている。
木曾路はすべて山の中である。
あるところは岨づたいに行く崖の道であり、
あるところは数十間の深さに臨む木曽川の岸であり、
あるところは山の尾をめぐる谷の入口である。
一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。
木の板に刻み込まれたこの美しい文で始まる一節を 持ち込んだ本を読み終えてから此の方 私はもう十数回も朗誦している。
煤けた二次元の中で私を見つめる二つの乳房は私の声を吸い込み 声は音となって
うっそうとした山道 降りしきる蝉時雨 点々と散在する木曾十一宿が ここに現れる。
声色を変え テンポを変え そうして次々と現れる美しい木曾路にうっとりと聞き入る。
ああ そう。
どこにいようとも 私にはこういう魔法があった。
思いついて アダルトビデオの山を掻き分け横積みになった古い雑誌やいつのものかも分からぬ学会資料の間を探ってみる。
こういう部屋には大抵先達の残した(その人はこのビデオのコレクターと同一人物であるのだが)はっとするような忘れ物があるはずなのだ。
それは 破れた島崎藤村の詩集であったり あるいは茶色く変色した「山椒大夫・高瀬舟」の薄い文庫本であったりするのだが
いずれにせよ居心地のいい近年改築された当直室では見かけぬ宝が一冊や二冊出てくるものだ。
果たして目的のものは やはりこの部屋にもあった。
小林ひとみ「禁じられた関係」とどういう趣味の一致があるのか私には分からないが
その懐かしいビデオの裏に半分千切れて押し込まれていたのは この部屋で過ごす夏休みを幸せにするのに十分な代物。
古に天地未だ剖れず、陰陽分れず、渾沌にして鶏子の如く、溟涬にして牙を含めり。
其の清陽なる者は、薄靡きて天に為り、重濁なる者は、淹滞りて地に為るに至りて、
精妙の合摶すること易く、重濁の凝竭すること難し。
これほど美しい言の葉を頂く民であることを私は心の底から誇りに思う。
夏休み、どこに行く予定もないけれど 魂揺さぶる言霊に誘われ
あめつちいまだわかれぬいにしえの地へ ゆらり旅行く。