ふと気づいた瞬間に、誰かの手のひらの上に乗っているのを心地よいと感じている自分がいて、彼女はそういう自分が好きではなかった。
そういう時決まって彼女は、座り込んだ自分のお尻で温まった居心地のよいそこに砂をかけるようにして立ち上がり、後ろも見ずに歩き出すのだった。
初めのうちこそ物珍しさと恋を夢みる者にありがちなマゾっ気でもって、彼女の気まぐれに振り回されるのをよしとする男も、時とともに疲れ果て、出会った頃とは似ても似つかぬ無表情でもって自分を去っていくのが見えているから、彼女は恋には臆病だった。
臆病なくせに臆病な自分を認めたくはなかったし、なにより捨てられた子猫のような寂しがりであったから、差し出される手のぬくもりに、威嚇しつつもいつしか首周りを撫でられて気持ちよさげに喉を鳴らし、鳴らした途端そんな自分に腹を立ててたったさっきまで愛撫を受けていたその指に噛み付く―――彼女は扱いづらい女 であった。
小さい頃から大人びていると誉め言葉とも皮肉ともつかぬ大人たちの陰口を聞くともなく聞いて育ったためか、自分の感情を突き放して分析するのはほとんど趣味と化していたし、だから自分の扱いづらさについて彼女がそれほど無自覚であったはずもないのだが、それでも彼女の恋はいつも長くは続かなかった。
彼女には長い付き合いの友人がいた。仕事のパートナーであった。それ以上でも以下でもなかった。
どのくらいの間彼と組んでいたのだろう?それすらもう、思い出せない。
居心地のいいクッションのひとつやふたつを捨てたからと言って、いちいち仕事に支障を来たすような彼女ではなかったが、それでもそんな夜には決まって、仕事の打ち合わせと称した誘いが彼、真田から入った。
別段改めて話すことなど何もなかったから、バーのカウンターに二人並んで腰をかけ無言で酒をのみ、「明日早いから」そう言って先に立ち上がるのは、決まって彼女の方であった。
その足止めがなければ、自慢の長い髪をおろして夜の街を彷徨するだけのことなのだから彼女にとってはどのみち同じことで、同じことだと思いながら、出かけようとするその前に携帯の着信履歴を確認するのが、いつしか彼女の日課になった。
そのことに彼女は気づいていただろうか。気がついていたのなら、なぜ彼に対してだけ、そういう自分を赦せたのだろうか・・・・・。真田の手のひらに腰を掛けることについてだけは、彼女は意識的に無自覚であった。
真田は仕事のパートナーとしては申し分なかったが、普段の友人とするにはあまりに口下手であった。
仕事以外の何かについて、彼と話したことがあったろうか。話そうとしたことはある。だが彼女の追い詰めるような問いの仕方に彼は口ごもり、口ごもった彼に彼女は苛つき、結局最後はあきれたような舌打ちでもって話を仕事に戻すのだった。
そう、彼女はいつも苛立っていた。
真田の中にあるものがそうさせたのかもしれなかった。
彼はその奥底にどこか遠い場所の風景をもっているようであった。
自分が踏み入れることのできない深い深い原始の風景を、彼が独り見つめていることに彼女は傷ついていたのかもしれなかった。
それは遠くに見える美しい陽炎に石を投げる子供に似ていた。
彼がどんな風景を抱えているのか彼女にはわからなかったし、そのことが彼女を傷つけまた苛立たせていたのだが、一方無言の彼の隣でグラスを傾けるとき、彼が見つめているであろうその風景の中で、自分の焦燥が風に溶けていく様を感じていた。
そんなとき彼女は、自分が見つめているのは彼ではなく、彼の中にある風景なのだと思った。
それはどこか遠くの静かな海を朧月が照らす風景なのかもしれないし、一面の花畑の向こうにかすむ蒼い山々の風景なのかもしれなかった。
あの頃。
手を伸ばせばそこに彼は居た。
手の届かない遠い風景を抱えて。
この文は
記憶、
舞台:記憶 【後編】、
記憶 - 雨 (1) -、
記憶 - 雨 (2) - 、
朧月夜 の シリーズのひとつです。
朧月夜 に続けてお読みください。
いっきゅどん ありがとう。
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