はじめは小さな黒い染みであったように思う。
いや、違う。
そもそもの初めから私の身体は薄黒い霧のような汚れで被われていたのかもしれない。
小さな黒い染みが次第に拡大したのか、あるいは薄黒い霧が次第にその濃さを増してきたのか、今となってはもう知る術は無い。
今やそれは私の喉元までをぬっぺりと覆い隠し、ぬぐっても取れないコールタールのような恥辱の泥として私の身体にまとわり憑いている。
手足を動かすたびにぬちゃりぬちゃりと糸を引くその汚泥の下で、肥大化し腐敗臭を放つ自我が膿み朽ち果てようとしている。
とすれば黒いそれはどこか外部から飛来したものではなく、腐りゆくこの自我から滲み出た膿そのものであるのか。
腐った肉を滴らせ、私は生きている。
母は私を残して死んでしまった。
思えばこの膿は私がまさにあの人の娘であるところに由来していたのではあるまいか。
あの人の娘であること―――あの人の血をこの半身に受け継ぎ、その穢れともいうべき呪いを身に纏い、他者からの意識的な隔絶を持って生きていくということ。
それを私に課した彼女が、老いとともにこの穢れを意識の底に追いやり、何も知らぬかのようにすました老婦人を演じようとしたとき、私は半ば失望とも半ば怒りともつかぬ残虐な衝動でもって彼女を責め苛んだように思う。
知らぬふりはさせぬ―――。
結局のところ死ぬまで彼女はこの穢れから逃れることはできなかったし、否、逃れることを許さぬ一人娘の視線に晒され、追われるように死んでしまった。
死ぬことによって初めて娘の責めから逃れた彼女は、自らの汚泥を娘に託すことで復讐を果たしたのだろうか。
母が死んでから黒い染みは一段と広がり、今やそれは喉元から這い上がり私の気道を満たし、息を吸おうにも肺胞は重いコールタールで埋め尽くされている。
溶けた脚をひきずって歩くと、熱く爛れたアスファルトに崩れ落ちた腐肉が糸を引き、人は皆見て見ぬふりをしているが、満員電車の中で私の隣に座ったOLがほんの少し距離を開けて座りなおしたのを、私は見逃さない。
頭痛がする。
頻繁に頭痛がするようになったのも彼女が死んでからだろうか。
それとももっと前?
泣きつかれた後のようにこめかみが軋み、いつもの閃輝暗点が始まる。
だがそれは嘘だ。
私は泣いたことがないのだから。
母が死んだときですら私は泣かなかった。
ただ呆然と、言ってみれば開放感とも言えるような脱力感の中で、呼びかけても答えぬ蝋のような彼女の頬を撫でていただけだった。
目を閉じた彼女はぞっとするほど美しく、そのことだけが、もはや彼女が手の届かぬ人となったことを示していた。
これは罰なのだろうか。
あのとき涙を流さなかった私への、罰なのだろうか。
電車が止まり向かいに座っていた初老の男がハンカチをそっと口に当てて降りていった。
私は自分の体臭がもはや分からないほどに朽ちているのだから、電車になんか乗るべきではなかったのかもしれない。
だが電車に乗ることができなかったら、私はどうやって生きていったらいいのだろう。
新たに乗ってきた女は鼻まで覆うマスクをしていた。
隣の男は私との間を遮るように大きく新聞を広げている。
私はいたたまれなくなり、閉まりかけたドアをこじ開けホームに走り出た。
笛の音と罵声が遠くで聞こえる。
ここはどこなのだろう。
立ち尽くした私を避けるように流れる人の群れはみな同じ顔をしていて、いつか水族館で見たカタクチイワシの群れのように見開いた目はどこも見ていない。
行きかう人々の鱗が光り、着いたばかりの電車に吸い込まれていく。
てかてかと安光りするアルミの箱が鯨のように彼らを呑み込み、次の獲物を求めて次々と滑り出していく。
カタクチイワシはなぜ自ら鯨に呑み込まれていくのだろうか。
彼らはどこに運ばれどこで処理されるのだろうか。
頭痛がひどい。
遠くで音がする。
イワシを擂りつぶす音だ。
私の身体が腐ってきたのはイワシを食べたからなのだろうか。
いつかテレビで見た何とかいう農薬の蓄積による死のピラミッドが頭を掠める。
身体の弱かった私を心配して母はよくイワシを擂り潰してはふりかけを作ってくれた。
でんぷなんか止めて母さんのふりかけを食べなさい、身体にいいから。
嫌がっても嫌がっても辛抱強く私の碗に茶色い粉を振りかけていた母さん。
白を汚す砂のようにぱさぱさとしたそれは、腐った魚の臭いがした。
暗い台所でこちらに背を向け、薄っぺらい半纏を痩せた肩に羽織りイワシをつぶす母さん、
母さん、台所は寒いのだから、
誰もイワシのふりかけなんて食べなくて、いつだって虫が湧いてしまうのだから、
その虫を寂しそうに拾い出すあなたを見るのは嫌だから、
だから、イワシを擂るのは、もう止めて。
もう、止めて。
母さん、ここはどこ?
私の身体はこんなに腐っているのに、ここには私しかいないの。
母さん。
イワシの、
群れが。
身体が崩れる。
会社に行かなきゃ。
母さん。
会社に行かなきゃ。
ここは、どこ?
―――――ココハ ドコ?
アレな散文コンテスト 一休杯にTB。
久々の創作。
アレの定義を自分なりに考えて書きました。
公衆の目に曝すには あまりに行き場のない暗さをもっているように思われ
アップしたのち 少し後悔しています。
数日後削除されているかもしれません。
そのときはごめんなさい。
★★★★★★【アレな散文コンテスト 一休杯】★★★★★★
- 企画内容 -
この中でアレな人は手を挙げて?はい、挙げなかったアナタ。
アナタは間違いなくアレ。
ってわけで、アレな散文を書いてTBして下さい。
アレな感じなら何でもアリ。
エントリー期限は7/2 23:59まで。
アレって何?と聞くのは禁句です。
- 参加資格 -
アレな人、もしくはドン引きされる覚悟のある人
- 審査方法 -
一休杯なので、エントリー締め切り後にエキブロ代表のアレ、
審査委員長のikkyuu_as_cousakuさんが作品の審査講評をしてくれます。
※アレでも参加出来るようにテンプレを文末にコピペお願いします。
開催地 毎日が送りバント (http://earll73.exblog.jp/)
審査員 Roller skates Park (http://cousaku.exblog.jp/)
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
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