検索エンジンに引っかからない方法を探しています とpostingしたところ
なりっとさんが10日の間真剣に
その方法を調べてくれた。
結果的には有効な方法はないってことだったのだけど
でもなんだか それでいいのだな って思った。
私が自分のブログを検索エンジンに晒したくないって思った理由は
ある情報を求めて検索している方々(特に患者さんたち)にメイワクをかけたくないってのが一番の理由だったのだけど
今になって思うと もっと個人的な 自己中心的な 自己満足的な 不遜さ故の希望だったのかもしれないと 思う。
このブログに大勢の方が来てくださることは嬉しいのに
検索エンジンに否応なしにひっかけられることは嫌。
つまり大勢の目に晒されることが嫌なんじゃなくて、その晒され方が嫌なんだ。
言葉を発した時点で(検索語にされうる単語ならどんなものでも)、検索エンジンは世界への参加を強制する。
そのこちらの意志を無視した強制的な参加が嫌だった。
こちらの予期せぬ検索語で選び出されること
つまり出会いの形を自分の意志とかけ離れたところで決定されること
ネット上にありふれている何万というブログの中から いきなり選び出されて日の目に晒されること
有無を言わさず 世界に引きずり出されることが怖かったのだ。
でもネット上だけでなく言葉を発するというのは いや この世に生きてある ということはすなわちそういうことなのではないだろうか。
誰も世界から隠れて 世界の裏で生きることは許されない。
誰しもが 世界というステージで踊ることを強制されている。
ステージ裏にいることは誰にも許されないのだ。
だから(たった一人で無人島に暮らしている場合を除き)公でない言葉 晒されていない言葉 誰にも届かない言葉はありえないし
同時に 公でない存在 誰の目にも触れない存在 誰にも影響を与えない存在というのはありえないのだ。
ステージの裏にひっこんだまま自分の届けたい言葉だけを発したいという
都合のいい私の呟きは
私が思いもしなかった形でなりっとさんに伝わり なりっとさんを動かし私が想像もできないような労力を費やさせ そしてそれを 私はとてもうれしいと 思っている。
この矛盾。この自己中心的な不遜さ。
だから 私は 検索エンジンに引っかからない方法がみつからなくて
ちょっとほっとしている。
自分のご都合主義が挫折して よかったと思っている。
壁のこちら側から壁にあいた穴から覗き見しつつ 壁の向こうの世界に参加することはできないのだから。
世界と私達の存在は相互作用的で
壁に穴をうがってそこからパーティーを覗くと パーティーの中の誰かがきっと その穴に気づくのだ。
だからなりっとさんの投稿は 結果的に
壁の向こうで覗き見しようとしている私に
その穴 ばれてますよって微笑みかけて 私の手をぐいぐい引っ張って パーティー会場に連れ込んでくれるエスコートとなった。
私は はにかみながら 改めて世界に挨拶する。
はじめまして。みなさん。
こうやって何度も何度も 私は世界に再会していく。
なりっとさん ありがとう。
・・・とはいえ リアルにばれるのはやっぱり困るのですけどね。
その結果閉鎖になってしまうブログがある現状を見ると 自己判断で検索を免れる方法があるといいなと思います。