昨日の記事を書いていて ちょっと思った。
地図の中心で 愛を叫ぶ
「女は同意と共感を求めているのだから
愚痴には反論せず 黙って聞いてあげましょう」
ってよく言われるけど それは ちょっと ちがうんだな。
空の高みから 分ったような一般論を言って欲しいわけじゃないことは 確かだけど
黙って聞いているふりして欲しい わけでもないんだ。
いっしょにね
地図を まわして 欲しいんだ。
わたしが 地図をひっくり返して 南を向いているとき
「北は上だよ」って言うんじゃなくて
いっしょに さかさまの地図を 覗き込んで
いっしょに 迷って欲しいんだ。
同じ目の高さで 世界を 眺めたいんだよ。
まだ 私達が 小さな子供だったころ
裏の林は 果てしないジャングルだったし
神社のほこらは 迷宮の入り口だった。
大人になって
裏の林は 公民館の庭に過ぎず
神社のうらには 別の住宅街が 広がっていることを
知ってしまった今
どちらも 知識という地図の ひとつの記号に すぎなくなってしまった。
それでも やっぱりわたしは
大人になったからこそ 手にした おおらかな 想像力でもって
ジャングルや 迷宮で 迷いたいんだ。
子供のころは 本当に 迷っていたけど
今は 空の高みで 地図をまわすことができる から。
って 書いてはみたものの
一緒になって 地図をひっくり返して 「あれえ こっちかなあ」って言っている男と
付き合ったことはない。
好きになるのは いつも 地図が読める男。
でも きっと いっしょにいて わくわく するのは 地図をまわす男。
地図が読める あなただから 安心して いっしょに地図をまわせるんだよ。
わたしが 世界の中心で 愚痴を言っているのは
あなたが 空の高みで 世界を見れることを 知っているから なんだよ。
そして わたしもまた
あなたが 地図を ひっくりかえしているとき
空の高みから 駆けつけて
いっしょに 地図をまわせる おんなでありたい。