jallyさんの次男坊くんの
給食の時間。
あぁ 思い出した。
辛かったなぁ・・・給食の時間。
小食の私にとっては拷問でした。
ただでさえ短い給食時間(12:20~1:05)
準備段階の時間を省けば 15分程度
当時はよくわかっていなかったけど 給食の時間ってそんなに短かったんだ。
確かに いつも時間切れ。
給食の後の掃除の時間、 埃舞う教室の隅にひとり机に座らされ 泣く泣く食べた。
口いっぱいに詰め込んで それからトイレに行って吐き出して また詰め込んで
噛むと吐きそうだから 噛まずにトイレに駆け込んだ。
そうやって トレーの食事を減らすために トイレと教室の往復をした。
あれは一体 なんだったのだろう。
ちなみに、残菜をする場合は
班の誰かが食べてやるかクラスの誰かに食べてもらわなければならない
そんなルール
そうそう こんなルールも確かにあった。
自分の残したものを平気で他人に押し付けられるような厚顔な小学生などいるものか。
だいたい子供の好みなんて似たようなもので、自分が食べたくないものは他の子だって食べてはくれない。
お前のせいで昼休みが縮まるのはかなわんと、同級生のメイワクそうな視線をあびつつ
自分の不始末を人に依頼せねばならぬ惨めさ。
友達に頼める子はまだいい方で、それもできず、こっそりパンを机の中に隠す子は、それだけでいじめられた。
ご飯を残しちゃいけないと教えるなら、自分の食べられるだけの量を見極め、盛り加減を主張する力を付けさせるべきだ。
だが私があの時学んだのは、尊いはずの食い物がごみへと変わるその変換点になんの根拠もありはしない、翻っていえば、私達は這いつくばって吐物を食べて生きていくことが可能なのだという、子供にしてはあまりな達観だけだった。
そして
連帯責任
こんな言葉はとうの昔に記憶の奥底に抑圧し、大人になった今「なんですか、それ?」と鼻でせせ笑うこともできるようになったが、子供にとっては、善悪の見極めを己の価値判断によって行うのでなく、多勢にメイワクをかけないことのみを目的として行動することの自己犠牲のウツクシサを強制するもっとも威力的な言葉だ。
強制を行う者がその強制力の源を己におかず、連帯という名の相互監視システムに責任のありかを刷りかえる汚さ。
大人は汚い ってこういうことだ。