これは そもそも理系/文系という区分って何? というところから始まった cafeさん との一連のやりとりの1節です。
理系/文系 (1)から順にお読み下さい。
おっしゃるとおり 「思考法」と「表現法」と「対象」はそれぞればらばらに定義されるはずですね。
これをごっちゃにしていました。
「理系人間」 の含む要素を考えてみると
理系的思考法を好む傾向にある人
理系的表現法を好む傾向にある人
理系とされる学問を好む傾向にある人
それぞれの意味を含んでいるのですね。
この点を鋭く指摘してくださったのが えちゅーどさま。
「数学は、文学的に思考します」
なるほど。そういうことも可能。うまくは言えないけど 確かにそういうこともありだと思う。
ちなみに私は英文長文読解を数学的に解いていたし。
つまり 対象と思考法は別 ってわけね。
cafeさんと私の定義がかみ合わないのもこの点を統一させようとしているから ですね。
ではそれぞれ別に定義しましょう。
で 性懲りもなく 再定義。 absinth風 理系/文系表現法の分類。
理系的表現法:
その定義において「一意にしか解釈できない」ことが求められる
文系的表現法:
その文脈において「一意にしか解釈できない」ことを求めつつ
その表現の多義性を暗黙で許す
cafeさんはこんな風に突っ込んでくれました。
政治に関する文の解釈が、文脈によって異なるとしたら...日本の政治家のお得意芸ですね!(w)
経済に関する文の解釈が、文脈によって異なるとしたら...市場経済は混乱?(だから長い間、日本は不景気なの?(w))
法に関する文の解釈が、文脈によって異なるとしたら...裁判が公平に行えなくなってしまいます(って、実際には、解釈が異なる場合も多数ありますよね?)。
そうまさにそこが文系的表現ではないでしょうか。
政治の場面はひとつではありません。
政治学 という学問が存在するにしろ それをそのまま現実社会に当てはめれば全て解決するわけではもちろんなく その場その場に応じた解釈(これを 逃げと言ってもいいかもしれません)ができてこそ 現実において意味のある分野となるでしょう。
経済、法に関しても同様です。
いつも例外を考慮した表現、「一意にしか解釈できない」ことを求めつつ
その一方でその使用者に例外の場面に応じた解釈、読解力を求める表現、それが文系的表現ではないでしょうか。
では 思考法の定義はどうでしょうか。 頑固者の私はこれも訂正せず再提出です。
理系的思考法:
言葉の定義を厳密に厳密に追い求めていく いわば 「そぎ落とし」 の思考法
文系的思考法:
言葉が含む幾多の意味を積極的に肯定していく いわば「増幅」の思考法
え? これは表現法の違いでは? cafeさんはこうおっしゃいました。
いいえ。だぶっている部分もありますが これは「表現法」と分けて「思考法」として定義するからこそ 意味を持ちます。
文系的表現法は 文系的思考法を前提として 読者にその能力を求めつつ描かれます。
小説や詩のみならず 法律や政治においても同様です。
文脈における例外を認めつつ書かれざるを得ないものであり その運用には当然 杓子定規でない 言葉の多義性を知った上での増幅の思考法が求められるのです。
逆に 法律を厳密な文字通り杓子定規に適応したり 小説に出てくる一つ一つの単語を定義しながら読解していくような人は 「この理系人間!」なんて言われてしまうのかもしれません。
どんな表現にもそれが求める読解法・思考法があり それを頭から無視して別の思考法で読解しようとした場合に「この理系頭」とか「この文系野郎」とか そういった否定的な呼ばわりが登場するのではないでしょうか。
一方でえちゅーどさんのように 理系的表現法で書かれたものを文系的思考法で読み解く なんて離れ技も可能です。
読んでいて惹きつけられる思想家や哲学者というのは こういった表現と思考法の突拍子もない組み合わせが 得意な人であるような気がします。
このふたつに対する突っ込みはまたお待ちするとして cafeさんの大好きな「対象」の違いについて考えてみたいと思います。
理系と文系の対象の違いをcafeさんはこう定義しました。
理系:人間が存在する前に、存在する現象をターゲットとする
(現象そのものの発見は、人間が存在してからのこともある)
文系:人間の存在によって、存在する現象をターゲットとする
(もし、この世に人間が存在しないならば、その現象も存在しないようなもの)
cafeさんは観察者の存在と対象を完全に分けることができるとお考えなんですね。
数字が人間が存在する前から存在していたかどうかは議論の分かれるところだと思いますので それは保留にするにしろ
人間を対象とする医学は 明らかに分類不能になってしまいます。
生物としての人間と解釈すれば理系 精神的存在としての人間と解釈すれば文系?
いえいえ ことはそんなに単純ではありません。
プラセボ効果 というのものがあります。
薬理学上 そのような効果が証明されていないにも関わらず それが効く薬だと患者に思いこませることによって効果が出る薬のことです。
気のせいで治ったような気がする というものばかりではなく 実際にそれに応じた生理学的な反応が起こるものもあります。
思考の最も大きな対象である「人間」はcafeさんの分類のどちらに属するのでしょうか。
「人間」は 人間が存在しないとしても存在しうる現象でしょうか。 あるいは 人間が存在しないとしたら存在し得ない現象でしょうか。
堂々巡りのように思われるこの質問こそ 「人間」の本質を突いているように私には思われます。
この質問に答えるために 神 や 歴史 といった視点を据えるのもいいかもしれません。
でも私は できることなら そういった超越的な視点をおかずに 自己言及の恐怖の中この質問に取り組んで生きていきたいと思っています。
ああ また話題がずれました。
私はここら辺で黙って まだまだ言い足りないようなcafeさんに 番をお返ししましょう。
皆様からコメントで頂いたそれぞれの定義についても 考え中です。
他にもご意見 ありますか?