これは そもそも理系/文系という区分って何? というところから始まった一連のやりとりの1節です。
理系/文系 (1)から順にお読み下さい。
【医療で要求される文系的能力】 からの続きです。
しつこくてすみません。
健康 という言葉にも同様のことが言えます。
医師はあまり「健康」という言葉を使いません。
どんなに「健康」そうに見える方でも 詳しく検査をしていけば ひとつやふたつの異常検査値が見つかるもの。
それを知っているから あなたは「健康」ですよ なんて気軽には言えないんです。
でもじゃあ 「健康」な人 というのは存在しないんでしょうか。
いいえ そんなことはないはずです。
確かに 私たちは「健康」な人 というのを見ていますし 「俺が健康だ!」そういう方もいるでしょう。
私の勤めている病院の検査では コレステロール値の正常範囲は 120-220mg/dl に設定されています。
じゃあ 221mg/dlの人は 病気かしら。 いいえ そんなことはありませんね。
221mg/dl は異常値だけど 病的ではないから? そうとも言えます。
それはそれで 適切な判断です。
この場合 病的とは何か についての読み替えが 重要になってきます。
でも 先ほど述べた「文系的」表現に従えば 221mg/dlは異常値ではない ということだって言えます。
一般的に検査の正常値は 一見正常(健康)そうな成人○人を集め その検査データから割り出されています。
つまり 「正常範囲」が先にあるのではなく 「正常そうな人」 が先にあるわけです。
この場合
「正常範囲」 という言葉に含まれる 「正常そうな人たちの多くが含まれる範囲」という意味の奥深さ と
でもその一方で 「この範囲を逸脱したら異常として考えた方が疾患発見率をあげるはずだ」という 先人の予防医学的な意気込み と
その両方の ニュアンスを さらりと読み替えることのできる能力が 求められているのです。
この能力は 相矛盾するいくつかのデータを前にしたときに 特に発揮されます。
どのデータも間違ってはいない。
どのデータを重要視し どのデータを無視するべきなのか 厳密な線引きはできませんし
それは症例ごとに異なり これにもまた マニュアルといったものは存在しません。
検査データは 患者のものであり 患者から切り離して 別の文脈でそれだけを論じることはできません。
そして理想をいうならば そのデータの解釈は その文脈(患者背景)における「一意の解釈」でなくてはなりません。
複数の医師が 同じ結論を導きうる というのが最良の解釈です。
でもそれがいつもできるわけでは ありません。
確かに目の前の患者を侵す 「何ものか」の存在
それを感じながら その文脈で 「何ものか」の表れであるところのデータを 動物的勘でもって読み解いていく作業こそ 文系的と いえるかもしれません。
やれやれ 余談がだいぶ長くなりました。
そろそろ 本題に近づくため 次回は 理系的能力について 考察してみようと思います。<おい
追記) と思いましたが この話しはここで止めます。
もう一度 文系/理系 とは何か について
考える必要がでてきたようです。