理系男のダンディズムを追求していらっしゃる
GALANT's Cafe さまからTB。
なんというか・・・こういう思考大好きです。
男/女 血液型 ○○県人 ・・・ そして 理系/文系
人類を問答無用にざっくり分けて おおらかに遊べてしまうというのは
自己分析も他者の評価も いったん突き放して
快感を伴って自虐的にあるいは 能天気なほどポジティブに 人間の捉え方を見つめなおすっていうことで
それって なかなか 大人の感性なんじゃないかと 思うのです。
ああ 「あいつって大人/子供」 そんな分け方もありますね。
どちらにしろ 肯定的な意味合いも否定的な意味合いも お好みどおりに含ませることができるって点が この遊びをますます汎用性のあるものに しています。
で 今日のテーマは 理系人間?文系人間?
・・・と ここで困ってしまいました。
私は 自分を 理系/文系 というカテゴリに分類したことがなかったのです。
このようなテーマを考えるとき
1、まず自分はどのグループに所属するか
2、そのグループが持ちうると一般的に言われている特徴は何か
3、自分の中にその特徴はあるのか
こういった順番で考えていきます。
しかし 「理系人間」の場合は そもそも 「B型」 「女」 というように 外から与えられた分類ではありませんので
自分がどちらのグループに属するか 決めなくてはいけません。
「absinthってさあ 典型的理系人間だよね」 こんなふうに言われたことがあれば 問題ありません。
他人から肯定的にそう言われているうちに その分類がどういう特徴を有していようとも
そうそう自分は理系人間なんだよね ってその分類を内在化できるからです。
自他共に認める理系人間になれるのです。
ここで 重要なことは 「肯定的に」 というところです。
否定的に使われた場合は (もちろん その否定が 本人の自虐嗜好をくすぐる場合は別ですが)、 そういう分類そのものを否定したくなってしまうからです。
あ と ここで気づきました。
私にとって 理系人間という範疇も 文系人間という範疇も どちらも否定的要素を含むものであった ということです。
それは私の職業に関係しているかもしれません。
(いや他の職場でもそうかは知りませんが、私の周りではそういう傾向にありました)
「あいつは文系人間だから・・・」
この言葉の裏には 論理的思考ができない奴 との批判的意味があり
「あいつは理系人間だから・・・」
この言葉の裏には 人間を総体として見ることができず検査データばかりをこねくり回している奴、臓器で人を見ている奴
そんな否定的意味を込めて使われることが 多かったのです。
その結果、「私は理系人間なのか文系人間なのか」 そういう思考そのものが拒否されてしまってきたのかもしれません。
だから 私にとって 肯定的な意味での理系人間/文系人間という分類は
目から鱗 いや カオスの世界に向かって発せられた初めの言葉のように 新鮮でした。
また 私の世界にひとつの 割れ目/差異が 持ち込まれました。
その割れ目に手をかけて 背伸びをすれば 大岩の向こうに広がるもうひとつの世界が見えるかもしれない そんな予感のする 素敵なブログに出遭えました。
あら 理系/文系 の定義までたどり着かずに
だいぶ長い前置きになってしまいました。
長々と前口上を述べている間に GALANT's Cafe さまから
先回りのTBが届いたようです。
典型的理系と豪語するお方に相応しく 理系/文系について美しい定義をしてくださっている様子。
ひとまずここで筆を置いて この分類法の定義に耳を傾けてみることにします。