トイレ 101 話 第 72夜 【手術とトイレ考 (1)】より 続き
なんせ 手術室は暑い。さらに乾燥している。この間にかく汗はかなりの量であろう。
暑い、とはいえ、実際の室温は24―25℃、術野外の人間が半袖の術衣で動き回われる程度の温度である。(心臓を長時間止める手術では22℃くらいまで冷やすこともある)
しかし術野にいる我々外科医は、さらに上から完全防御の割烹着を着込み、心臓の手術では頭から首の周りまですっぽりと帽子で覆い(忍者に似ているのでニンニン帽と呼ばれる)、術野を照らす明かり(無影燈という。影が出来ないよう四方八方から照らしている)に照らされ、精神的にもヒートアプした状態で、クールな女であるはずの私でも、手術終了時にはサウナスーツを着てマラソンをした後のようになる。
だが、患者さんは裸で寝ているわけだし、その室温にもろ心臓や腹の中をさらしているので体温はどんどん下がる。
人工心肺装置を使っていれば 体に送る血液の温度を調節することで 体温を下げたり(下げるときは18℃まで!) 上げたり(18℃まで冷やしたものを37℃までまた暖める)ある程度自在にできるけど、人工心肺を使わない手術では 自然に下がって行くまま。ひどい時にはICU入室時の体温が34℃なんてことになる。
暑い!室温下げて!という外科医と 下がって行く患者体温を気にして外科医を適当にあしらう看護師さんとの攻防はどこの手術室でもありうることだ。
(私の外勤先のDrは、背中に凍った袋を洗濯バサミでぶら下げていた。溶けた氷を交換するのはナースの仕事であった。)
手術機器の管理と感染制御の為に、手術室の湿度は50-60%と低めに管理されているが、外科医の体感温度を下げるために、さらに湿度を下げることになる。
かいた汗は瞬く間に蒸発するはず。(手術着も防水性がありながら、汗をこもらせない、通気性に優れた物が求められる。使い捨ての紙性であるが、いいものは1着1000円近くする)
それでも脱いだ手術着は、汗だくになっているのが通常だ。
手術前に飲んだ お茶1Lなんて 手術室の空調に吸い込まれ 尿になる余地などないのである。
手術中に集中力を失わせる大きな理由は おしっこではなく 暑さと鼻水 である。
誰しも経験のあることとは思うが、少々の風邪気味あるいは花粉症で、体温および周囲気温がやや上昇したときが、鼻水の増量の危機だ。
始めはずるずるとすすっているが、これはかなり集中力をそぐ。幾度となくこの鼻水責めを経験している外科医はあきらめるのも早いものだ。
どうせ2枚もマスクを重ねている。誰にもばれやしないのだ。
すすることを止めた鼻水は瞬く間に川のように流れ落ち、口の中はもちろん、ひどい時にはあごまで流れていく。通常であれば気持ち悪くて何かに集中どころではないのだろうが、逆らうことを止めた無我の境において、鼻水もまた自分自身の一部であり涙や血液と同様決して忌み嫌うものではないのだと、悟りさえ開けてしまう。
たらたらと流れる鼻水もまたマスクに吸われ、低湿度の空気によって蒸発し、手術室の空調によって処理されていく。
そうやって鼻水の輪廻に身をゆだね、その存在すら忘れてしまうころ、不思議なことに鼻水は何事もなかったかのように止まっているものである。
手術を終え控え室に駆け込み がばがばに乾いたマスクを早々に交換し 「鼻水?なんですか、それ」と言わんばかりに澄まして登場するのも、外科医の修練の結果であろう。
というわけで 脱水に耐えた長時間の手術を終えて まず欲するのは トイレではなく 水分だ。
手術を終えて、振り子のように正確な心電図のリズム響くICU、患者の状態が落ち着いている証拠に電気が一段落とされ、薄明かりに照らされ患者の薄い色の尿がとことことことこ流れ落ちるボトルをチェックするナース―――美しいその風景を眺めながら、腰に手を当て500mlのポカリを飲み干す幸せ。私の腎臓も喜んでいる。