誤解と思いやりの行き違い…
大元記事は削除されているので めめんさんのとこから TB。
めめんさんの書かれた意図とは ずれた観点になってしまいました。
ここから先は 仮定の話をします。
元記事に挙げられた疾患の話では ありませんので あしからず。
現在のところ原因不明だとされているある疾患があるとします。
専門家レベルでは いくつものもっともらしい説が提唱されている。
ある専門家は 遺伝子レベルで その疾患がおきやすい人とそうでない人の違いがあるという。
ある専門家は 親がその疾患をもっていると 子がその疾患に罹る率が高いと 指摘する。
また ある専門家は その人の生活習慣に 関係すると指摘する。
(未婚女性に多い あるいは 既婚女性に多い 大酒のみに多い 雪の多い地方に多い など)
その疾患に罹患している人は 高頻度にあるウィルスに感染している と指摘する報告もある。
この報告を全部聞いて この疾患の原因は なんだと思いますか?
こんなばらばらの 報告じゃ なにがなんだかわからない 私なら そう思います。
この疾患とこれらの事実が どちらが原因でどちらが結果か なんて分からないものね。
でも 医学の世界では こんなことは よくあることです。
ひとつひとつの報告は たぶん嘘はいっていない。
ちりばめられている現象を ひとつの言葉で説明する方法を 私達がまだ 知らないだけ。
私達の想像力(これを科学といってもかまいません)は まだ あまりに未熟で
世界が与えてくれるヒントを うまく つなぎ合わせることが できないのだ そんなふうに思います。
巷にあふれる 数々の報告 論文 学会発表
もっともらしい これらの「事実」に 目くらましを受けないためには
距離をおく ということが とても重要になってきます。
ある事実から それが意味することを 十全に引き出す能力が 私達に欠如している以上
眉につばをつけて見守る という態度を欠かしてはいけません。
それができなくては 物事の表面しか見えない 科学者 になってしまうのです。
私達専門家は そういう目でこれらの事実と向き合う訓練が できています。(いるはずです)
事実は事実 でも それをどうやって 解釈するか それが大事なのです。
でも 一般の方は そうではありません。
「遺伝子が違うんだって」「じゃあ遺伝するの?」
「ウィルスが発見されたんだって」「じゃあうつるの?」
「未婚の人に多いんだって」「じゃあ若いうちにセックスしなきゃ」
こう考えてしまうのも よく分かります。
世の中を支配しているのは この短絡的思考であり
現在の盲目的な科学信仰 医学信仰の元では これを是正するのは不可能に近い と思います。
(現在の科学信仰はなぜか 原因と結果は1対1で結びつくはずだ とか 原因と疾患と治療は直線で結びつくはずだ とか 証拠があがっていれば犯人は特定できるはず みたいな 垂直思考であるように思われます)
また こういう短絡的思考は ある種 快感でもあり
マスコミが売れる番組を作るために あえて 短絡的思考を 振り回している感もあります。
(「脅威の生活習慣病!!」「痩せる!丸秘ダイエット術」「今注目の健康食品があなたを救う」
この裏には 「だって嘘じゃないもんねー」っていう 開き直りみたいなものを 感じてしまいます。)
だから私達専門家は 「遺伝」だとか「感染」だとか「ウィルス」だとか「環境因子」だとか
なんとなく専門用語っぽいコトバを使うときには よほど 注意しなくては いけません。
こういう「なんだかわからないけど 科学っぽくて専門っぽくて だけど 意味は分かるコトバ」は
妙な説得力をもっていて それを聞く 専門外の人々を 短絡思考の魔法にかけてしまうのです。
私達専門家が 「感染」 という言葉を使うときと それが専門外の方に聞かれた場合とでは
その言葉の持つ意味が まったく違ってしまいます。
これは その言葉のもつ イメージ に付随したもので
言葉の定義の問題ではないので
いくら言葉を積んで 正確に説明しても 絶対に伝わらない と 私は思っています。
だから 私がもし 私が思っているような意味での「感染」を伝えたければ
「感染」という言葉を使わずに語るしかない と思っていますし
実際 患者さんにお話しするときも そのようにしています。
「癌」についても 同様のことがいえます。
私の母が「癌」と告知されたとき 母は医学用語であるところの「癌」ではなく
自分の存在のおぞましさ 犯してきたであろういくつもの罪 死の染み すべてに 取り付かれてしまいました。
当時医学生であった私ですら 家の台所の流しについた錆をみて 母の体を侵す癌を思ったものです・・・・それは 家中を知らない間に侵食し 細部にまで入り込み ついにはぬぐってもとれない茶色の染みとなって 家族全体を侵すようでした。
言葉の正確な定義を知っていてすら こうなのです。
でも だからといって 患者さんに「癌」といわずに「上皮性悪性新生物」とだけ伝えただけでは 病名告知にはなりません。
患者さんには 「癌」という言葉そのものと 自分が本当に伝えたい病気(医学用語で言うところの「癌」)と 両方を伝えなくては なりません。
その上で (必要であれば)「癌」という言葉そのものが持つイメージを 変えていく努力が必要なのです。
文字通りの単語そのものと 本当に伝えたい事 と
乖離している その両方を意識して伝えようとすること
それがコミニケーション というものだと 思います。
だから私達専門家は それぞれの言葉がもつ一般的なイメージに自覚的でなければなりません。(医学に限らず どんな専門分野でもおなじことだと思います)
元記事に戻りますが 元記事に付いたコメントは とても鋭く 意味のあるものでした。
一般の方と医療者の間の「感染」という言葉がもつイメージの乖離を指摘してくださいました。
(また 元記事は 専門家としての「感染」と 一般的な「うつる」を混同して使っておられたことも 確かです)
もしあれが 「傷ついた/傷つけた」「削除して欲しい」といった趣旨ではなかったならば
(この間には鍵コメであったことから生じた行き違いがあり、当初コメンターが意図された単なる指摘から削除依頼へと趣旨が変わっていった経緯がありました)
そしてまた
元記事が 問題となった病名のところを隠した後に公開され続けていたならば
医療者自身にとっても とても重要な問題をはらんでいる「言葉のイメージ」について
建設的な議論が なされたのでは ないだろうか
そんなふうに 思っています。
とはいえ 「建設的である」ことよりも 「傷つかれた方の心が少しでも癒える事」の方が
はるかに重要なわけですから
こんな意見は 部外者の勝手な 言い分 なんですけどね。
それから もうひとつ。
元記事をかかれたナースの方は 誰かを傷つけてしまった ということの重みに疲れてしまわれ ブログをお休みになさいました。
近頃 医療系ブログの閉鎖が目に付くことが多く 大変残念に思っていた中での出来事でした。
私自身も気をつけてはいるものの しょっちゅう 反省と訂正を繰り返していることですが
医療系ブログへの批判のいくつかは
この言葉のイメージの違いによるものではないか と思います。
悪意があっての投稿などあるはずもなく
しかし自分のちょっとした無知と油断が 誰かを傷つけてしまったということに 驚き
また ブログで医療情報を公開して少しでも患者さんの役にたとうと思われるような方だからこそ
自責の念にかられ ブログを続ける気力を失われてしまうのだと 拝察します。
でも どこまでいっても 専門家と 専門外の方との 「言葉」には 埋められない溝があり
それは 互いに批判し 指摘しあう(あるいは専門家の側からすれば啓蒙する ということになるのでしょうか)ことでしか埋まらない と思います。
たぶん多くの見知らぬ方を 傷つけているのだろうな と思いつつ
私が それでも こうやって語ることをやめないのは
少しでも多く 共有できる言葉を もちたい と 願うからです。
参考:
医療系ブロガーが医療について書くこと