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簡単な抜糸のはずなのにえらく手こずっている。何がそんなにやりづらいのかと手元を覗きこむと、いきなり手を止めて「先生、左手使ってもいいですか。」という。 「もちろんどちらでも。使いやすいほうの手を使ったらいいじゃない。でも普通は、使い慣れていない手よりは、体を多少ひねってでも利き手のほうが使いやすいものだけど。」 「いえ、僕、左利きなんです。」 左利き人口が全体の何割なのかは知らないが、時々こういう学生に会う。いちいち聞かなくたって、はじめから利き手を使えばよかったじゃない、そうすれば患者さんも痛い思いをしなくてすむのだし、とそう問えば、どこぞの実習先の病院で「道具は右手用に作られているのだから右手で使え、って怒られたんです。」と言う。 こういう話を聞くと私は腹の底からむかむか煮えくり返ってしまう。 「どこの馬鹿がそう言ったか知らないけれど、今度言われたら、心臓外科のあぶ先生は両手ではさみも鉗子(かんし)も使っていましたけど、先生は左手使えないんですか?それは不便ですね、って聞き返してごらん。」進級の可否にびくびくし、教育に名を借りた横暴な医者のいたぶりも首を潜めてやり過ごすが得策の学生にこんなことが言えるはずもないけれど、左利きに生まれ付いてからこのかた、おそらく彼が受け続けてきたであろう有言無言の圧力を多少なりとも吹き飛ばしてやりたいと思う。 物事の中心にいるのはいつだって人なのだ。それを言うに事欠いて、道具が右手用だから右手で使えとは何事か。いつから道具に人が仕えるようになったのだ。右手用の道具は右手で使うべきなら、左利き用の道具を用意しようという発想になぜなれぬ。 実際社会が多数派に迎合するよう作られていくのは、こと能率と効率を重要視する現在にあっては仕方のないことかもしれぬ。だがその実態を無批判にうけいれ、あろうことかその尻馬に乗って、右手しか使えぬ己の卑小さを正当化し左手を操れるという稀有な才能の持ち主をつぶしにかかるとは何事だ。 そういう横暴を主張するのが形式と縁起を重く見る世の中一般の人たちならばまだ仕方ない。だが、手をいかに自由に使いこなすかが命の職人―――外科医がのたまうとは世も末だ。 私は外科医になろうと決めたときからある期間、歯ブラシも箸も左手に移した。生まれついての右利きで、それまで左手を使うという必要性などなかったから、左手はまるで鎖をぶら下げているように重かったし布をかぶして動かすがごとき不自由さだった。今でも右手に比べれば左手は不器用だし感覚もわずかに鈍い。それでも左手ではさみを使うのに不自由はしないし、ほとんど全ての手術道具は持針器を含めて左手で使える。―――もちろん右手用の道具だ。(右手用の、というのは、刃の組み合わせが右手で使ったときに力を入れやすくなっているのであって、力を逆にいれれば同じように使える。) 手技を教える者にあっては、まずは左手用の道具の用意のないことを詫び、それから左手で右手用の道具を使うコツを教えてやるのが筋ではないか。できればその先、両手を使えるようになるように励ますべきであろう。大出血する組織を利き手で押さえながら、反対の手で鉗子(かんし)や糸をかけるなど、どんなに助けられるか知れぬ。
タイトル : 左利きの外科医
医療器具では緊急時に、左利き用の器具はありません、とかならないように、右利き用の器械しかないんだ、ということは確かに広く言われていた。バリアフリーとか、ユニバーサルデザインとか、ああいうこととは無縁の世界だとされてきたが、左手で上手に使うコツを教えるとい...more 私も右利きですが、王貞治氏がサウスポーと知ってからは左手で字を書いたり練習いたしました。 Anything Lefthandedというお店が、某国にあるそうですから 左利きの方々は知らず不便を強いられているのでしょうね。 両手が同じように使える様になりたい気持ちは幼い頃と変わらずあります。 あぶさんの怒りに共感します。 うちの末っ子は左利き。 右でも左でも自在に操れるのをうらやましく思います。 料理人の世界でたまに聞くのですが 左利きで包丁を扱うのは見た目がよろしくない、という事がありますね。 目の前でローストビーフをサーブするなら 右を練習すべきなのでしょうが 裏の厨房でならどっちでも美味しくできるほうが良いと思います。 考え方に偏りがない自在な上司が理想であります^^ 医学部祭でいつも経験させてくれる内視鏡体験は、両手が使えないと細かい作業は勿論、腸の手繰り寄せも出来ない。だから、両手を使う(器具を扱う)のは当然のように思っていたら、違っていたのね。新たな認識でした。右手だけ使えればいいなんてレトロな考え方、医療機器はもとい、パソコンでさえありえない。 道具は右手用だから・・・。ユニバーサルデザインからすると耳に痛いことです。 私も一時、左手を訓練しました。なんか格好良い気がして(^^) だから、今でもひらがななら普通に書けます。 ・・・だからってどうって事ないですけど(笑) 外科用の器具は左手用ってないのでしょうか? 裁ちばさみとか包丁は有りますよね・・・・。 採血に関して「患者さんが違和感を持って不安になるから、左手ではなく右手でしなさい」という「指導」を目にしたことがあります。ローストビーフと同じ感覚なのでしょうか。 教育でも、訓練でも、躾けであっても、縛るべきは目的であって手段であってはいけないと思うのですがね。 最適な手段というのはよく熟知しつくしている者(多くは本人)が選んでこそ、力量を発揮できると思うのですがそれを書生論とか理想主義と呼んではばからない(切り捨てる)思考形態って、それこそ本人が気付いてなおす以外に、お医者様のつける薬でも治らないのかもしれないと思ったりします。 ・・・と、こういう態度だからか、ワタクシ 先生という方々から睨まれるみたいです。。昔から w 最近、右でも左でも食事ができるようなりました。 文字がかけるともっといいのですが。。。 いのちの職人というあぶ先生、そんな医者に出会いたいです。 いのちの管理者からいのちの支配者になりたがる医者に素人のいのちの持ち主は苦しめられることが多いです。 初めてコメントさせていただきます。 最近まで外科医を目指していましたが、より興味を持てる分野を発見して方向転換を決めた私ですが、両手を使えるのはとてもいいことだと思います。 私は右利きですが、外科志望だったときには左手でも手術道具が使えるように練習しました。 今では助手の使う大概の道具は、右手ほどではありませんがどっちの手でも一応扱えます。 手術道具だけではありません、Aを採るのもルートを採るのもどっちの手でも出来ます。 ベッドの向き、患者さんの向き、その場の状況で手を選ばないので便利です。 一読して感じた違和感が日増しに大きくなってきたので もう一度コメント(^^ゞ うちの職場の新人さんの口癖は 「言われてないからわからない。できない」 です。 わからないなら調べればいいし、先輩に聞いても良い。 自分でわかろうとしないから、いつまでもできない。 両手を練習しない学生もそうだし そう言われたら従うほかないような環境もそうだし どっち利きが問題じゃなくて 怒るならそこかな。って。 久々の書き込みです。 左利きなので、ちょっと拍手してしまいました。環境に鍛えられて、あらかた右も使えるようになりました。でも、PTとして対面すると、やっぱり右麻痺の方の誘導のほうが(左麻痺の方に対してより)得意だったりするので、利き手は利き手、ですね。 僕は右で書いても左で書いてもどちらで書いても字が汚いです。 そもそもです。 > masugoi404さま 右利きの人間が左手を練習するのと、左利きの人間が右手利用を強制されるのとでは、決定的な違いがあるように思います。右と左は対称ではない、ということ。そのことを十分わきまえた上で、「両手を使えるのが一番便利じゃん」とさらりと言ってのける軽やかさしか、自分の立位置から一歩も出ようとせずに暴力を振りまわす人たちの硬い心に届く風はないのではないかと、思います。 > sofia_ssさま なぜ左手で行うと美しく見えないのか、ということに興味を持ちました。形式美、あるいは定められた道具が、すでに右手用に作られているからでしょうか。あるいは見慣れないものに違和感を覚える我々の心ゆえでしょうか。むしろ慣れない手で不器用そうにやることのほうが美しくないような気もしますが。 > 寧夢 さま 内視鏡は確かに両手を使いますが、右手と左手の役割には明らかな違いがあります。患者さんをどちら向きに寝かせ、術者がどちら側に立ち、、スコープをどちらの手で持つのか、全てが非対称に作られており、それは人間の体の非対称性に由来するものですから、内視鏡こそ左手用、右手用というわけにはいかないのですよ。 > sprewell8_daisukiさま 左手用のはさみなどもあるのでしょうが、見たことはないです。例えば心臓手術1件に用意される手術道具ははさみだけで10本近く、持針器も大小種類をかえて10本近く 、全ての道具を数えたら100をかるく越えます。それぞれにつき左手用を用意するわけにはいきません。自分でそろえるにしても1本ウン万円からのものですから、1本2本ならともかく(私も自分用の持針器を数本は持っています)はさみまで、というのは難しいですね。 > ちりん さま あはは。自分の違和感を患者さんの違和感にすり替えて正当化しようとする、医療界でよくあるパターンの暴力ですね^^ > bucmacotoさま 本人にまかせるのが一番、ていうのは真実だと思います。もちろん形式美というのが存在するのは確かなことで、また何世代にもわたる工夫の結果洗練されてきたやり方というのがあるのも確かなことですが、自分の欲望(相手を自分の世界に取り込みたい、自分との違いを認めたくない)をそれにすり替えてはいないのか、常に己に問いたいところです。 > Magiさま 文字は難しいですね。頭を切り替えないと左右逆の文字になってしまいます^^ >piano さま いのちの職人なんておこがましい。私がしているのは壊れた血管や心臓の部品を取り替えるくらいのものです。誰も、いのちには手は届かない、そう思います。 >クロイ さま そうですね。左大腿静脈や左内頸静脈にIVHを留置するのは左手でやったほうが圧倒的に楽なように思います。まあ、慣れの問題かもしれませんが。 > sofia_ssさま ああ、その言葉!ほんとによく聞きます。医学部の学生だけかと思っていたらそうでもないんですね。 自分の人生に対する腹の括り方というか責任の負い方というかが甘いのだと思います。この世界で食っていくのだ、それを自分自身で選んだのだ、という気概がない。誰かが何とかしてくれる範囲で、人に遅れず歩めればそれでよいのだと思っている。周りを見わたして回りに遅れない程度にしかがんばれない。それ以上は無駄なことだと思っている。「<標準>外科学」という教科書に書いてあることが、この世界の深淵、行き着く先だと見限っている。そういう人間に世界の深さ、面白さは決して分からないし、分からないからこそ、世界は生きるに値しない、死に物狂いになるほどの価値を持たない。試験に受かったから、たまたま就職したから続ける。そういう子たちは、生まれたから生きてるだけだと言うことでしょう。くだらない学生を見すぎているせいか、温暖化よりもなによりも、世界が生きるに値する輝きを失ったことこそ、滅びの兆しなのだろうとさえ、思うこともあります。 (つづき) それに対して私たちができることはただ、この世界ががむしゃらに生きるに値するものだと後姿で示すことだけなのだろうと思います。だから私は今日も夜中の呼び出しに出向き、その合間に論文を読み、学会に出向き、先を走り続けなければならないのだと自戒しています。 > mkaz さま なるほど。ということは右利きの人間が多い現状では、左麻痺の患者さんのほうがうまく誘導してもらえて有利ということかしら? 手先のことだけでなくて誘導といった全身をつかう仕事でも利き手がかかわるのですね。 > running-highさま じゃあ右手を使うときは「僕は左利きなんで」と言い訳をすればいいし、左手を使うときは「僕は右利きなんで」と言い訳をすればいいですね。便利^^ 同業者で、たまに拝見しています。基本的な内容については多くのコメントの方と同意ですが、
はらわたが煮えくりかえる、とかどこぞの馬鹿がという表現が、 とても気になりました。 ある程度経験をつんだ外科医あれば、特に心臓外科以外の分野こそ、もともと左利きのものの方が、両方使えて便利な面があることは知ってるはずだと思います。 言い方、聞き方次第ですが、学生君は器械が右利き用に作られているということを聞いた印象が強かっただけではないでしょうか? 右利き用に作られていても力の入れ方さえかえれば左手で使えることも、普通の外科医は知っているでしょうし、その学生に教えた医師はそういう意図で言ったのではないと考えます。 大変失礼ながら、同業の方にたまに感じる、上から目線を文章からたまに感じるのておりまして、今回とても気になったので書きました。 おそらく、実際の先生はそうではないのだと信じますが。 外科医、特に心臓外科医はなにか特別な存在だと思っている人が多く、いつも憂いています。(今僕がいる外国でもそうですが) 不快に思われたのなら削除してください。
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