籍も入れてはいないし式も挙げてはいないけれど、面倒くさいので紹介はことごとく「夫です」といって済ましている。
仕事の関係、病院の関係、住まいの手配、近所への挨拶、祖母の入院先。よっぽど不釣合いに見えるのか「こちらどなた?」とあからさまにいぶかしげな視線に、すらっと答える、はい、こちら夫です。
夫です、はいい。収まるべきところにすきっと収まる感じがいい。互いが背負う40年近い歴史だとか、それぞれが抱えるいくつかの困難だとか、なくはない不安、ぴたっと寄り添ってばかりはいられない感情のやりとりだとか、そんなものはお構いなしに、箱に仕舞って蓋をぱちんとしめて、何事もないように、はい、こちら夫です。そこには、何者をも二人の関係に文句を言わせない、二人の間に何があろうともそれは二人の間で完結する問題であり、対外的にはひとつの箱であるのだという強い意志があるような気がして好ましく、以前思っていたよりもずっとスムーズに私の中の言葉となった。
使ってみて知った。夫です、は強い。あるんだかないんだか分からないような信用だとか、安心感だとか、とにかくそういった確たるものが第三者との間にどんと置かれるのが目に見えるよう。同時に四十近くまで独りで世間と渡り合ってきたらしい女に対する警戒心、緊張感がさっと引く。私はなにも変わっちゃいないのに、ずいぶんと格上げされたよう、世間がこんなに渡り易いものであったとは。(逆にこの社会の、独り者の生き辛さを今更思う。実際に相方が存在するかどうかではなく単なる言葉の強さ、まじないとしての結婚――。くだらないことである。)背広の男が汗をかきかき頭を下げる。ああ、こちら旦那さん、これはこれはどうもよろしく。――私とあばらは目配せして微笑みあう。
対してあばらの紹介はいたってシンプルである。私の肩を抱いて名前を教える。こちらあぶ、よろしくね。誰もがそれで10を理解する。こちらどなた?もどういうご関係?もない。私は彼のプリンセスとしての礼を受ける。
元気な時はこういうのでもいいけれど。
あばら作。チキンステーキ。かぼちゃのすりながしはあぶ。
調子が悪い時は自分で作る。
秋刀魚塩焼き、海草のお粥、焼き茄子、湯豆腐、ごぼうのきんぴら、ブロッコリー。