【持ち回りテーマ∞第17回のお題: 旅 】
たとえば バンコクのカオサン通りや カルカッタのサダルストリートのように
お手軽な安宿街が あるときはいいが
バックパッカーの宿探しは 時に 難渋する。
夜行列車を降り立ったはいいが 知らぬ町 知らぬ言葉
怪しげな日本語をあやつる 客引きやタクシードライバーを 払いのけては見たものの
駅にいながら探せるような高級ホテルに泊まれるはずもなく
薄汚れた格好と うすっぺらい財布で 恥ずかしい思いをしたくなければ
自分の体を 持って行って 安宿を 探すほかない。
そんな時 私は まず チャイナタウンにいく。
ガイドブックなど持たなくても そこそこ大きな中心都市であれば
「チャイナタウン チャイナタウン」 と騒いでいれば
親切な人ごみにもまれ バスに押し込まれ いつしか チャイナタウンに たどり着くもの。
なぜかはわからないが チャイナタウンに宿を探して 失敗したことがない。
カオサンやサダルのような 激安宿はない代わりに
良心的な宿が多いように思うのは 同じモンゴロイドのひいき目か。
ドミトリーでも 南京虫に頭を悩ませるようなことはめったにないし
なによりも 漢字で 意思疎通できるのが 助かる。
だが チャイナタウンが好きな理由はそれだけじゃない。
遥か異郷の地に居をかまえ 新たなる故郷を作らんとした 彼らの祖先のまなざしなのか
慣れぬ土地に一人ぼっちで降り立った 硬く緊張したこころに
チャイナタウンの 空気は優しい。
小鳥屋の軒先で 竹篭に入った小鳥を 日がな一日 神さびた古老の隣に座を占め 眺める。
薄暗い店内に 所狭しと並べられた 骨董品の埃を払い 竜の鱗 楊貴妃の櫛 の値段を問う。
移り行く時の中で 確かなものなど何一つなく
私たちは
しょせん誰もが異邦人であり
この時 この場所 この身体すら
仮の宿に過ぎないのだと 今更のように 知る。
どこへもたどり着かない郷愁と
水の底から世界を見上げているような 疎外感を 抱え
私たちは 風に吹かれて彷徨い
屹立する孤独なこころは
出逢いの不可能性の神話を破り
異郷の地で わずかに触れ合う。
だから
異邦人であることは
私が あなたと出遭い 世界と触れ合う ほんのわずかな 可能性なのだ。
そのわずかな ぬくもりが恋しくて
異郷の地の異邦人の街に 出向くのか。
時の流れとともに 使い捨てて行くような 日常の中で
だから 私は
異邦人のように 振舞おう。
この異郷に 自分の街を 築くのだ。
ささやかな でも 何者にも侵されない 異邦人の街を。