胸のあたりでぶつぶついっていたのが消えてきてようやく深呼吸ができるようになった。
仕事の帰りにどこだかから玉葱の炒める匂いが流れてきて、ああ今日はシチューが食べたいと思う。
ここのところすっかり食欲も落ち込んで食べるために口を動かすのも物憂く、出だしたら止まらない咳を誘発しないように浅く小さく息をして今日一日という時間が過ぎていくのを首をすぼめてじっと待っているようであったから、久々に空腹を感じたのが嬉しくて、どうしたって今日は思うどおりのものを食べようと心に強く思う。
刻んだ玉葱を弱火で丁寧に炒めつけ甘みをだす―――こっくり甘いシチューを作ろうと思う。
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「あのねえ、あたし、こしあんの薄皮のお饅頭が食べたいのよ」
心臓の手術後ぐったりと塞ぎこみ食事の一切を受け付けなかったMさんの言葉に、饅頭だけでなく、お抹茶の葛湯だの水饅頭だのシュークリームだのを目一杯買い込んで、彼女のベッドをまたぐサイドテーブルに夜店みたいにならべたのは、何を隠そう私自身の衝動だったのか。
「どれがよいか分からなくて、迷っているうちに全部ほしくなっちゃって。」
「まあ、どれもおいしそう。どうしようかしら、うふふふふ。」
ああ、その、うふふふふが聞きたかったのだ。
こしあんの、薄皮の、お饅頭。
うふふふふ。
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ゆっくりときつね色になっていく玉葱をみながらふいに胸を塞ぐものがあった。
2時間後には私の腹におさまってすっかり跡もなく消え去ってしまう玉葱。
丁寧に丁寧に、作り出していく、喪失。
おいしかったからといって、その瞬間幸せだからといって、それがなんになるのだろう!
玉葱を炒めてつぶす時間。時よ過ぎ去れ。とはいえ、その先にもその先にも変わらぬ時間が綿々と続くのだ。玉葱を丁寧に炒めることにどんな意味が?
うふふふふ、はよかった。だがそれを見る私は抜け殻で、玉葱は抜け殻に吸われて消失する。
胸のぶつぶつがこんなにも長引いた原因は分かっている。
こころもからだもすっかり負けてしまっているのだ。
ぐったり負けて恥ずかしげもなく尻尾を巻いて負けの中にどっぷりつかって動こうともしていない。
負けている、負けている。
重さに、一人であることに、明日の仕事に、重力に、無であることに。全てに負けほうず負けて、ただ時間よ過ぎよと願っている。きつね色になるまで玉葱を炒めつけながら、時間よ過ぎよと願っている。
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うふふふふ、はよかった。
明日はドレーンが抜けるから、売店に好きなものを買いに行けるといい。