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厳しいようですけど
さっきの言葉反省。
今晩は 風が強くて 窓ガラスが ぴしぴし いっています。
嵐の来る 前の晩は
見慣れた 庭が カラフルな闇色に いろめきだち こころが ざわざわ いいます。
こんな夜には 10代のころの こころの ざわつきを 思い出す。
あの頃には キレるなんていう 便利な言葉はなかったから
寝ても覚めても 私のこころから 剥がせない 鳥肌を
なんとか言葉にしたくて 時間と取っ組み合いを していた。
社会の先生は モラトリアム なんて 言葉を得意げに 引用し
マスコミも とっかえひっかえ いろんな言葉を作っては
(「○○な若者たち、あなたの子供は?」)
「ほらほら ここに 安住していいんだよ」って猫なで声をだしていた。
キレる 君達。
抱えているこころの鳥肌は 多分 似ている。
私が君達より 幾分ましだったのは
多勢が使う言葉に 安住するのを 潔しとしなかった ことだけだ。
流布する言葉がくれる 便利さと時代への参加気分
その 居心地の良さは
私達のこころを 飼いならし 均質化する。
どうしようもなくて キレるわけじゃないだろう?
許されているから キレるのだ。
許しているのは コトバ。
「むかつく」 「キレる」 「キモい」 「うざい」
どれも いいコトバだ。
抱えている鳥肌を うまく 要約してくれる。
要約してしまえば もう 考えなくていい。
からだ中をかきむしりたいような 居心地の悪さからも無縁だ。
あとは コトバの命ずるままに 行動したらいい。
そうやって こころは のうっぺらぼうに なって いくんだ。
キレる者達の 暴力は
「キレる」という言霊に こころを奪われた のうっぺらぼうの しわざ だ。
私達の 無意識に 入りこみ 支配しようと もくろむ
のうっぺらぼうの コトバ に抵抗しよう。
こころに 嵐の夜の 美しさを
闇の深さを とりもどすこと。
「キレる」ほど 圧倒的ではなく 便利でもないけれど
多様性に満ちた ひそやかな あなただけのコトバを 探すこと。