要するに
はりぱぱ のところから TB。
>コミュニケーションに於いては、「他人から見た自分」にこそ意味があるのだな。それを受け入れずに否定するだけじゃ何も始まらない。
学生の頃やった遊びを思い出した。
題して 「自己紹介ごっこ」
二人で組になり ひとりは自己紹介をする。 ひとりはひたすらそれを聞く。 それだけのことだ。
自己紹介は「私は○○です」という形で行なうこと。
聞く側は ひたすらうなずくこと。 質問はだめ うなずく以外の相槌も打たないこと。
5分続けば たいしたもの。 10分続けられた人を 見たことはない。
「私は absinth です」 「私は 女です」 「私は 医師です」 「私は やせっぽちです」
「私は 意地悪 です」 「私は 寂しがりやです」 「私は 魔女です」 「私は 時に 海です」
「私は・・・」
それから? それから あなたは 何?
始めは外殻から
次に自分が思っているところの「私」を
あるいはそうでありたいところの「私」を
伝えようとやっきになって 言葉を搾り出し
搾り搾った その先に
ブラックホールのような 空虚がぽっかりと口を開けている 現場に
あなたは突然 出会うことになる。
振り返ってみれば 搾り出してきた言葉も また 空虚。
呆然として 辺りを見渡せば
ただ一つ 確かな存在は
目の前にいて あなたの言葉をひたすら 受け入れてきた 相方の瞳の中に
映っている あなた。
伝うべき「私」など どこにもない。
「誤解しないで 本当の私は・・」 この言葉の無意味さに 突然向き合う 瞬間がここにある。
「誤解しないで 本当は私は・・」
世界はこのつぶやきに 満ちている。
そのつぶやきが ちょっと 息苦しく 思える時もある。
他者の視線の中に 自分を放り出せる 勇気を 持ちたいものです。