ドアをノックするという行為について考えてみたい。
ノックという行為は何を示すのか。 諸君ならなんと言うだろうか。
私? 私ならこう言おう。
ノックとは不在の在 不在の主張であると。
諸君の目の前に一枚の扉を思い浮かべてみたまえ。 重く大きな木の扉だ。
さあノックをしてみるのだ。 ノックは3回。 ドアノブの内側3cm、目の高さで中指の第2関節を立て君はノックをする。 諸君がもし礼節を重んずる紳士であるならばノックとノックの間は正確に1/3秒であるはずだ。
1/3秒・・手元にある紙を使ってぜひとも計算してくれたまえ。 小数点以下永久に続くかとも思われる美しき3が君を迎えるだろう。 時間のある限り戯れるがいい。 我々が完成されたその計算結果を眼にすることはおそらく不可能なのだ。 人生の終焉に近づいた私ですらまだその終わりに出遭ってはいない。 1/4や1/8ではこうはいくまい。 1/16ですらその終焉を我々にさらすというのに。 (くだらない揚げ足取りをする者が今この場にいないことを私はうれしく思う。 疑うことを知らぬ幼な子だけが真実の光を見るということも申し添えておこう。)
さて 慇懃なノックの後訪れるのはなんであろうか。 そう 一瞬の沈黙だ。 ノックとノックの間隔がなぜ正確に1/3秒でなければならないか、その訳を諸君はここで知るだろう。 そう 1秒を3等分する神の決めたもうこの美しきリズムが、沈黙の緊張を嫌がおうにも高めるのだ。
扉の向こうからの返事がいかにすばやいものであろうと、この沈黙はノックをした者にとって永遠にも値する。 返事があるのか ないのか。 それは扉の向こうに存在者の存在があるか否かだけでなく、ノックをした者が扉自身に受容されるかどうかの瀬戸際を意味する。
ああ この高揚 この胸の高まり!
例えば若人たる諸君らがその魂のうちにひそかに住まわす恋人の住まいを訪れた場合を考えても見たまえ! この沈黙は恋するものにとって万罰にも値しよう! 沈黙によって瞬間瞬間裏切られ続ける再開への期待、沈黙がもたらす不安、それは次第に苛立ちへと変わり、君は再びゆっくりとノックの体勢を整える・・・背筋を伸ばし右手を軽く握り中指の第2関節を折り曲げ視線の高さに持ち上げたそのとき、扉の向こうより響きたるかすかな足音。 諸君の心はいっきにざわめき立ち心の臓は今にも躍り出んばかりとなる。
逆に(卑近な例で申し訳ないが 真実はまた卑近なものにこそ存在することも申し添えておこう)一般に厠と呼ばれるところであった場合は如何だろうか。 一瞬の沈黙は諸君の胸に大きな安らぎをもたらし、同時に強い自律心で抑制していたある種のしびれが快感とともに下腹部を襲うのを感じるだろう。 そこで間をおいて扉の向こうからの咳払い。 君のこころも下腹部も絶望の真っ只中に突き落とされるのだ。
つまり有在と不在の間を行き来しつつノックは(これがどんな場合にせよノックを行う者にとって天国と地獄との行き来であることはいうまでもない)、存在がその姿を現すまでの瞬きにその存在をかけるのだ。 ノックは不在の在であると私が主張するのはこの為である。
例をあげよう。 グローブをはめた諸君らに向けてコーチが送る
ノックはどうであろうか。 打球の飛んでくるバッターボックスには本来敵打者がいなくてはなるまい。だがどうだろう、敵がいるはずのその場所に眼をやればそこには諸君らが愛してやまないコーチの姿があるばかりである。この状況で実戦さながらの心を持って打球を受けることのできる者など果たしているだろうか。敵の不在、そしてコーチもまた不在でなくてはなるまい。二つの不在から送られてくる打球、それがノックの本質なのだ。
横山
ノックは言うまでもなかろう。彼の夢見たスカートの中には、「代議士と美人秘書のねっとりアバンチュール」も「あーれー先生おやめください よいではないか うひょひょひょ」もあり得なかったではないか。不在であるところのスカートの闇を現実と見誤る、それもまたノックの一面であることは一考に値しよう。
もちろん
ノックターンなどといった高尚な例もある。御存知の通りショパンのものが有名であるが、美しい月光にうたれた作者がそれを見ることの無い盲目の娘に向けて伝えんとしたあまりに美しい1曲である。二人の間に交わされた月光が、空の高みに立ち尽くす現実のそれを超越したものであったのは言うまでも無い。ここでもまた我々は不在が存在を超える優雅な一例を見るのである。(作者も曲も別の物だ などという陳腐な突っ込みはこの場にふさわしくないことは諸君も御承知のとおりである)
最後に、の・・のん兵衛は・・・く・・
のん兵衛は
くやし紛れ はどうか。ご存知のとおり室町時代の日本書紀に由来する有名なことわざである。残念ながら詳細にご説明することは困難であるが、ここに見られるのは、まさに意味の不在そのものの好例であるといってよかろう。
・・・・・・・では 扉のこちら側に居るものにとってノックは何を意味するのであろうか。 それを考察する前にまずノックの音について言及したい。 例外も多くはあるものの、ノックの音は一般に「トントントン」であるのが望ましいと日本ノック協会によって推奨されたのは記憶に新しい。 しかしこの提唱には多くの問題点が含有されているのを諸君はご存知であろうか。
この 「トントントン」によってすぐさまノックを思い浮かべることのできるのは、極少数のノック好きに限られており、多くの一般市民が連想するのは別の行為である。それは何か。
・・・・・前の列の帽子の方、ご意見があれば どうぞ。 なるほど 「与作」。 さすが諸君 本講演に来られるだけのことはある。 そのとおり「トントントン」はノックというよりむしろ機織りの音なのである。 しかし私がここで触れたいのは「与作」ではない。 なるほど確かに与作も可能性としてはあり得る いや 可能性はかなり高いといってもよい。 だがその女房にホーホーなどとふくろうのように呼びかける与作は、礼節を重んずる本講演には相応しくないと言わざるを得まい。 ここで私はあえて「よひょう」を挙げたい。 与作に比すればかなりマイナーな感を逃れ得ない「よひょう」ではあるが、日本恩返し事例検討によれば、よひょうの嫁おつうも、与作の「気立てのいい女房」に負けず劣らず機織りの名手であったことが指摘されている。 いやむしろ機織り界においては与作よりもよひょうの方がメジャーな存在であるともいえるかもしれない。 というのも与作妻の単純な「トントントン」3連発に比べ、おつうは「とんとんからり」と、より高度な技を持っていたと考えられているからであり、そのテクニック故に、よひょうも禁を侵して奥の間の障子を開けざるを得なかったと解釈するのが理にかなっているといえよう。
ここまでくれば鋭い諸君のことだ。 ノックと機織りとの無視できない共通項についてお気づきのことと思う。 そう どちらも他者との間を隔てる扉を、開け放たせるための行為なのだ。先ほど私はノックは不在の主張であると申し上げた。 機織りについても同様のことが言えまいか。
禁を破り奥の障子を開けたよひょうの眼に飛び込んだのは愛すべき妻おつうの不在であり、赤剥けに羽の抜け落ちた一羽の鶴であったのだ。 また赤剥けのといえば当然念頭に上るであろう因幡の白兎もまたワニの背中をトントントンと渡ったことも忘れてはなるまい。 そうノックは不在との出遭いであるのだ。 妻の不在、羽の不在、毛皮の不在。 (不在と言う点に関しては、話は戻るが横山ノックの美しき頭頂もまた偶然ではなかろう。) つまりノックは不在でありながら、不在であることによってその存在を主張するもの、この世ならぬモノとの「出会いの可能性」なのだ。
トントントン。
すべからく異界との出会いは この音から始まるー恩返しもあだ討ちも 恋も裏切りも。
そして扉を開いた諸君を迎えるのは 異界からのささやき、この世ならぬモノからの招待状である。 声を大にして私は言いたい。 諸君 恐れることなく 扉を開けよ。 そして 恐れることなく ノックをし合うのだ。 友という他者の扉を。
・・・・・・・さあ そろそろ私も出かけるとしよう。
今宵風にまぎれて 諸君の窓辺へ。
・・・・・・・・・・今夜は新月。 闇は深い。
トントントン
―何の音?
風の音。
トントントン
-何の音?
雨の音。
トントントン
-何の音?
・・・トントントン・・・・トントントン・・・・・・トントン・・
TBボケグラチャン大会出展
【グラチャン大会お題】
『トン、トン、トン』
ノックの音がした。
そしてドアを開けると・・・
■□■□■□■【TBボケグランドチャンピオン大会】■□■□■□
【ルール】
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